*たわごとコラム

金木犀が咲きました

先日、今年は金木犀が咲かないのでは・・・ とつぶやきましたが
杞憂だったようです。
例年よりもだいぶ遅れたものの、あちらこちらで一気に開花しました。

昨日は低気圧一過で輝くような秋晴れ。
風薫る爽やかな一日となりました。

いてもたってもいられず、またもや木犀巡り。
あふれんばかりに咲く金木犀の花を思いっきり楽しんできました。

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満開の金木犀・・・

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金木犀は、なぜか花に顔を寄せても薫りが強まるわけではありません。
むしろ、風で運ばれてくる薫りの方が強く感じます。

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この樹はめずらしい金木犀と銀木犀の混植。
花姿も色も薫りも、まるで金木犀が太陽、銀木犀が月といった趣です。

ちなみに木犀は、山の中ではあまり見かけません。
きっと、人が植えて広まった樹なのでしょう。

その季節にしか味わえないものを充分に味わうと、
とても豊かな気持ちになります。

これでやっと、「秋が来た」という実感が湧きました。(笑)

我が家が育てた椅子

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これは、結婚当時に買った木の椅子。
嫁入り道具なんてものは何一つありませんでしたので、
殺風景な部屋に、自分たちで買ったこの椅子が二つと小さなテーブルだけが
ポツンと置いてありました。

それから、長い年月が流れて、
少しずつ家具も入れ替わってゆきましたが、
この椅子だけは、未だに毎日使い続けています。

塗装も一部薄れてしまって、かなり年季が入っています。
結構ガタもきていますが、
身体がこの椅子に馴染んでしまったのか、何とも座り心地がよいのです。

当初は、『あれも無い、これも無い(何よりお金がない)』なんて思っていましたが、
『ひとつずつ揃えていく楽しみが、まだいっぱい残されてているんだ』
ということに気づいて、“ものが無い生活”もそれなりに楽しくなりました。
けれども、ものが増えたら増えたで、
そんな生活をなんとなく重たく感じるようになりました。

なんとも贅沢な話ですが、
私たちの場合は、自分の“分”というものを知るのに、
こうした試行錯誤が必要だったのです。

少しずつ“分”が見えてくると、本当に必要なものについて熟慮するようになり,
今では、家具を買うなんてことは滅多にありません。

けれども、どうしても必要なものができたら、
まずはDIYを考えて、それが無理ならこの椅子のように、
ずーっと先まで使い続けられるような、愛着の湧くものを探そうと思っています。
そして、見つからないうちは不便でも買わないと固く決意しています。

部屋を見渡してみると、長く使い続けているものは、やっぱり木製ものが多いです。
意識してそうしたわけではないんですけどね。

ところで、最近になって気づいたのですが、
椅子をひっくり返したら、裏にこんなシールが貼られていました。
この椅子は・・・

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チェコスロバキア製でした。

この椅子を購入した当時は縁もゆかりも無い国だと思っていましたが、
その後旅をして、彼の国の素晴らしい本たちに出会い、
今こうしてプレシャス・ブックスでご紹介しています。

チェコとスロバキアは、その後別々の国になり、
今では、そのどちらもがとても縁の深い国の一つになっています。
旅で訪れた時に初めて出会ったのだとばかり思っていましたが
どうやら私たちは、結婚当初からずっとチェコ・スロバキアに
お世話になっていたようです。(笑)

そう考えると、家具にも縁というものがあるのかもしれません。
“縁”を感じる家具を選べば、間違いないかもしれませんね。

今年の金木犀

そろそろ金木犀の季節。
毎年夏が終わると心待ちにしていて、
窓を開ける度にくんくんと風の薫りを嗅いでいるのですが、
今年はまだ開花の便りがありません。
車で走っていると、かすかに薫りを感じる場所もあるので、
もう咲いている樹もあると思うのですが、
家の周りの樹はまだつぼみすらつけていないのです。

ちょっと気になったので、
今日の夕方、散歩がてらこの街の『木犀ポイント』を確認しに行きました。
『木犀ポイント』というのは、大きな木犀の樹がある場所のこと。
私が勝手にそう呼んでます。(笑)

あちこち周りましたが、 今年はどこの樹も元気がなく、
花付きがあまりよくないようです。
咲いているところもあるけれど、薫りは例年程強くありません。
夏の猛暑のせいか、長引いた残暑のせいか、 弱っている樹もたくさんありました。
『もしかするとこれからなのかも』という期待もありますが、
弱っている樹を見ると、かなり不安。

ちなみに今日は夕方でも汗ばむような陽気で、
行き会った街の人たちとの会話はほとんど
「10月なのに暑いね~」でした。

今後異常気象が続き、気候の変化が極端になって春や秋は短くなる ・・・
と予測している人がいます。
身近なところにその予兆が現れているような気がして、
ちょっと胸が痛みました。

けれどもまだ10月のはじめ。
ひんやりした風が吹けば、樹々たちも元気を取り戻すかもしれませんね。



そろそろ金木犀の季節

そろそろ金木犀の季節。
毎年夏が終わると心待ちにしていて、
窓を開ける度にくんくんと風の薫りを嗅いでいるのですが、
今年はまだ開花の便りがありません。
車で走っていると、かすかに薫りを感じる場所もあるので、
もう咲いている樹もあると思うのですが、
家の周りの樹はまだつぼみすらつけていないのです。

ちょっと気になったので、
今日の夕方、散歩がてらこの街の『木犀ポイント』を確認しに行きました。
『木犀ポイント』というのは、大きな木犀の樹がある場所のこと。
私が勝手にそう呼んでます。(笑)

あちこち周りましたが、
今年はどこの樹も元気がなく、花付きがあまりよくないようです。
咲いているところもあるけれど、薫りは例年程強くありません。
夏の猛暑のせいか、長引いた残暑のせいか、
弱っている樹もたくさんありました。

『もしかするとこれからなのかも』という期待もありますが、
弱っている樹を見ると、かなり不安。

ちなみに今日は夕方でも汗ばむような陽気で、
行き会った街の人たちとの会話はほとんど
「10月なのに暑いね~」でした。

今後異常気象が続き、気候の変化が極端になって春や秋は短くなる
・・・と予測している人がいます。

身近なところにその予兆が現れているような気がして、ちょっと胸が痛みました。

けれどもまだ10月のはじめ。
ひんやりした風が吹けば、樹々たちも元気を取り戻すかもしれませんね。

水は語る

ようやく秋めいてきましたね。

こんな陽気だと、ついつい外出したくなるけれど、
10月まではちょっと仕事が急がしいので、一段落つくまではおあずけです。

・・・そんな時でも読書だけは欠かせない私。
今読んでいるのは江本勝さんの「水は語る」。
江本さんの水にまつわる本は、もう10年以上前に読んで、
それ以降の著作はまったく手を付けていなかったのですが、
最近またふと思い立って、市の図書館に一冊だけあった本を借りてきました。

江本勝さんは、一つも同じものがないという雪の結晶からヒントを得て、
人間の意識の目視化を試みた人。
言葉や音楽を聴かせた水を凍らせて、その結晶がどのような形になるかを観察したのです。
苦労の末その撮影方法を確立し、実験結果を発表しました。

「ありがとう」という言葉を向けた水は、きれいな結晶を見せ、
「ばかやろう」という言葉を向けた水は、結晶が崩壊しています。

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左「ありがとう」の結晶/右「ばかやろう」の結晶
江本勝

他にも、各国の水道水、川の水、音楽を聴かせた水、
人の思いを込めた水、特定の言葉を聞かせた水・・・等々、
様々な実験が行われています。

とにかく、この実験結果から分かることは、
まず第一に「人の意識は物質に影響を与える」ということ。
それは、思いが現象化するということであり、
祈りが通じるということであり、考え方で現実が変わるということです。

実験に使われた”水”にだけ焦点をあてたとしても、例えば人の身体の大部分は水な訳ですし、この星にはあまねく水が行き渡っています。
その水に、人の意識が影響を与えているとしたら・・・

実験結果で得られた結晶の写真を見ていると、自らの”意識”を省みずにはいられません。

このことは、発表当時かなり話題になって世界的にも注目されましたから、
もうとっくに周知の事実となっているかもしれません。
けれども、こんな時代だからこそもう一度、
この事実をしっかりと再認識するべきではないかと思えるのです。

さて、そろそろひと休み。
優しい気持ちで、おいしいお茶を入れましょう。

見る度に笑えます

見る度に笑えます。

ツバメの兄弟が電線で・・・

電線に5羽並んでいるのは、巣立ったばかりと思しきツバメの兄弟。

時々親鳥が飛んできて、子ツバメに餌をやっています。
巣立って間もなくはまだ、巣にいる時と同じように親鳥から餌を貰うようです。

親鳥が再び戻って来るまでには相当な時間がかかるのですが、
子ツバメたちは、ひたすらじっとその時を待っています。

この日の朝、空はどんよりした雲に覆われていました。

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しばらくすると、大粒の雨が降ってきました。
それでも、子ツバメたちは同じ場所に居続けます。

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間もなく、雨はどしゃ降りになりました。
子ツバメたちはお互いにじり寄り、
巣にいた時と同じように身を寄せ合って、
初めて体験するであろう苦境にじっと耐えていました。

こんなにすごい雨が降っても飛び立とうとせず、親鳥を待つ子ツバメたち。
この時の子ツバメにとっては、強い雨に打たれ続けるよりももっと、
独りで飛び立つ未知の世界の方が怖いのでしょう。

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この子ツバメたちの様子を、数日間観察することができました。

子ツバメたちは、その後それぞれが小さな冒険を繰り返し、
少しずつ、離れた場所にいることが多くなり・・・
そしてある日、姿を見せなくなりました。

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今頃はもう、独りで餌をとり、大空を自由に羽ばたいていることでしょう。

子ツバメたちが巣立った後、親鳥はどうしているのでしょう?
人間のように、『ほっとした』とか『淋しい』とか、感じたりするのでしょうか?
子ツバメたちに、何の見返りも求めていないことだけは確かですよね。

減り続けますように

先日このコラム欄で「犬と猫と人間と」という映画をご紹介した折、
「日本で殺処分される犬猫は年間30万頭以上」とお伝えしたことについて・・・

先週、ペットの殺処分に関することが新聞記事になっていて、
2001年から2010年までの犬猫の処分数がグラフで解説されていました。

そのグラフによると、
映画の中で紹介されていた2007年時点での数は29.9万頭。
翌2008年が27.6万頭、2009年が23万頭、2010年が20.5万頭。
ちなみに2001年は49万頭で、毎年右肩下がりで減り続け、
10年の間に半分以下になっています。

いずれにしても膨大な数であることには変わりありませんが、
とにかく、毎年少しずつでも減り続けていることを知って、
ほんの少しだけ救われた気持ちになりました。

このままずっと、ずっと、減り続けますように。

*「犬と猫と人間と」と同テーマの映画が、  新たに制作されることになったようです。
「ノー・ヴォイス」
http://no-voice.com/

*「犬と猫と人間と」の第2弾、現在制作中
 「犬と猫と人間と2 動物たちの大震災」
http://inunekoningen2.com/

猛暑の影響…?

店主B「あの大きなスーパーの名前、なんて言うんだっけ?」

店主A「スーパー?」

店主B「会員制でさぁ・・・」

店主A「?」

店主B「え~と・・・ステテコ?・・・じゃなくて、
     モトスコ? トコブシ? ドドスコ???」

店主A「コストコのこと?」

店主B「あ、そうそう。それそれっ!」

店主A「・・・・・・・」

猛暑の影響?が、ついにこんなところにも・・・

あの世かこの世か

8月末日、山のお寺で催された送り火供養祭。
この日は8月2度目の満月、ブルームーンでした。

月の道と、ろうそくの道
お寺は双方を結ぶ“門”のようでした。

夢か現か・・・
あの世かこの世か・・・

見えない世界をひと時かいま見たような、幽玄な夜。

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「犬と猫と人間と」

動画サイトに投稿された可愛らしい犬猫映像を見ると、とてもハッピーな気持ちになります。
被写体になっている動物たちの仕草が愛くるしいというだけでなく、
それを撮影している人間たちの愛情が伝わってくるからです。
映像には映っていなくても、近くにいる人や、
カメラを回している人が笑顔であることが手に取るように分かります。
同じような映像が世界中から数えきれない程投稿されているのを見ていると、
この世界は、なんて平和なのだろうと思えてきます。

けれどもこれは、世界の一側面にすぎません。

昨日「犬と猫と人間と」という映画を見ました。

日本で殺処分される犬猫は年間30万頭以上。
その数を少しでも減らすために奮闘する人たちの苦悩とジレンマを
4年にも渡って追い続けたドキュメンタリーです。

この映画は、「不幸な犬や猫を少しでも減らしたい」と願う、
あるおばあさんの思いから生まれました。
長年捨て猫の世話をしてきたそのおばあさんは、
満期を向かえる自分自身の生命保険を差し出して、
「動物たちの命の大切さを伝える映画を作ってほしい」と
飯田基晴監督に製作を依頼したのです。

思わず目を背けたくなる・・・そんな映像がたくさん出てきます。
私も何度も目を背けそうになり、その度に自分を戒めて、そしてさんざん泣きました。

けれども、微笑ましいシーンもたくさんあります。
そして、見終えた後、微かながら希望すらも感じることが出来ます。
飯田基晴監督は撮影中ずっと悲惨な現実と向き合い続け、
ご自身の思いも複雑だったに違いありません。
闇の部分も、微かな希望も、監督自身によってただ淡々と語られています。
きっと監督は、一人でも多くの人に観てもらうことに意義があると考え、
あえて、そのように描いたのではないかと思います。
そして誰よりもまず監督自身が、
ほんの僅かでも希望を見いだそうと苦悩されたのではないかと思うのです。

人は、見たいものしか見ないものです。
動画サイトに投稿された可愛い犬猫映像だけを見ていた方が、”楽”です。
けれども、人間のそうした意識がめぐりめぐって悲惨な現実を作り出していることを、
この映画は伝えています。

私は、この映画の中に出てきた殺処分を待つ犬や猫たちの姿を、その目を
一生忘れることができないと思います。
そしてこうした現実が日々繰り返されているのだという思いを、
常に抱いて生きてゆくでしょう。
もちろん、それは以前から知っていたことですが、
この映画を観て更に浮き彫りになりました。

この映画の中で、「人間がこの世界で最も強欲で残酷です」と語られるシーンがあります。

私もそうした人間の一人として
悲しみやジレンマや、自分の中の矛盾に目を背けないことが、
せめてもの報いなのだと感じています。

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>>オフィシャルサイト
http://www.inunekoningen.com/

相手のことを思っているつもりでいながら

私は、相手より先に電話を切ることができません。
知り合いや友人が電話を切ったのを確認した後に、
ちょっと安心した気持ちになって“切る”のボタンを押します。
けれども、相手も同じようなタイプの人だと、
お互いになかなか切るタイミングをつかめなくなって、
不思議な間が出来てしまうことがあります。

そこで最近は、そういう時こそ私から先に電話を切るようにようにしています。
同じタイプだから、分かるんですよね。
なかなか電話を切れない気持ちが。
私から先に電話を切って、相手がほんのちょっと安心した気持ちになれるなら、
それがなによりと思うようになりました。

同じような心境の変化がもう一つ。

以前は、頂き物をした時にはすぐにお返しを、と考えるのが常でした。
貰いっぱなしは失礼だと思うからです。
もちろん、今でもその気持ちは変わらないのですが、
ここに住むようになって、ちょっと考え方が変わりました。

例えばこの辺りでは、時折近所の方が野菜を分けてくださったり、
手づくりのお料理をごちそうしてくださったります。
そういう頂き物がとても多いのです。
はじめの頃は、すぐにお返しを持っていったのですが、
この辺りの方たちはとても律儀なので、
またすぐに“お返しのお返し”が来るのです。

更にうちが“お返しのお返しのお返し”を持って行こうものなら、
収拾がつかなくなってしまいます。
そこで今では、ただありがたくいただいています。
物で返すのではなく、心から感謝の気持ちを述べて、
時には後日「こんな料理にしてみました」と、路上で長話になることもあります。

時折、帰省した時のお土産や、手づくりのお菓子を持っていきますが、
それは“お返し”のつもりではなく、日頃の感謝の気持ちです。

義母はずっと、結構な広さの畑仕事をしていますが、
自分で食べる分はほんの僅か。
ほとんどが、誰かにあげるために作っているのです。

「この野菜は○○が、好きだから」
「この野菜は○○のところでは作ってないから、喜ばれる」

と、誰かの喜ぶ顔見たさに、汗水たらして農作業をしているのです。
そしてそれが義母の、生き甲斐の一つになっています。

だから、義母はお返しなんか貰うよりも、
もりもりおいしく食べてくれた方が嬉しいと言います。

今ではみんな分かっていますので、いちいちお返しをしてくる人はいません。
そのかわり、持ちつ持たれつ。
ある日玄関先にバケツ一杯のアサリが置いてあったり、
花が置いてあったり・・・
名前なんて書かれていなくても、誰からのお裾分けなのか全部分かるのだそうです。

以前の私は、相手のことを思っているつもりでいながら、
無意識に『不義理をしたくない』という自分の気持ちを優先していたのかもしれません。
それは、見返しを期待して何かをするのと同じですよね。

今では「ありがとう」の気持ちが、以前よりも
ゆったりと、でもしっかりと、繋がり合っているのを感じます。

そしてそれは、その人を心から信頼するということでもあるのですね。

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