*たわごとコラム

エジプトに関する新聞記事

エジプトが変わりましたね。
あっという間に。

連日ように、新聞でも大きなスペースを割いて革命の様子を伝えています。

その片隅に掲載されていたこんな記事に、なんだかとても感動して
思わず切り抜いてしまいました。

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「プレシャス」という映画を観ました。

「プレシャス」という映画を観ました。
2009年に製作されたアメリカの映画です。
プレシャス・ブックスの店主としては、やはりこのタイトルは気になります。

precious(プレシャス)というのは、【貴重な】【大切な】という意味を持つ形容詞で、
例えば「precious books」というようにbookという単語と結びつけば、
「貴重な本、大切な本」という意味になります。
といっても、何を大切だと思うかは人それぞれなので、
博物館に展示されるような本を「precious book」という人もいれば、
子供の頃に持っていた思い出の絵本をそう呼ぶ人もいます。
ちなみに、このショップをプレシャス・ブックスという名前にした理由は

” P R E C I O U S  B O O K S ” って?」
のページに書いた通り。

さて、この映画に描かれた「プレシャス」とは、いったいなんなのでしょう。

それは・・・16歳のアフリカ系アメリカ人少女の名前でした。
クレアリース“プレシャス”ジョーンズ、彼女はハーレムに住み、
悲惨な運命を生きています。

彼女に“プレシャス”という名前を付けたのは母親です。
親にとって我が子はかけがえのない宝物なのですから、
どんな子供も“プレシャス”のはず。
ところが、クレアリース“プレシャス”ジョーンズは、
実際にその名を持ちながら親から宝物として扱われていません。

ストーリーに触れるとネタばれになってしまうので、
ここでは感想に止めますが、
この映画を観て私は再び「プレシャス」について深く考えました。

「プレシャス」を、どんな名詞にも結びつけずに問うた時、
私にとっての「プレシャス」とは?
人間にとっての「プレシャス」とは?

冒頭にも記した通り、答えは人によって違います。

大切だと思うことも、大切だとおもうものも、複数あると思うのですが、
「一番・・・」はなんなのか・・・

自分の存在意義がまったく感じられず、
生きる希望が見いだせないような運命の中にあっても、
失われない「プレシャス」とは?

この映画には多分、人間にとってミニマムでマックスの「プレシャス」が描かれています。

絶望的な運命を生きる少女が、
「ホープ(hope)」ではなく「プレシャス(precious)」と名付けられているところが、
この映画の主眼点であり、メインテーマなのだと思います。

公式サイト
http://www.precious-movie.net/

春が来ました。

立春とともに春が来ました。

2月だというのに暑くも寒くもない陽気です。

さすがに桜はまだですが、桜と見まごうばかりの
立派な白梅が咲き誇っています。

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今日、秋田に住む友人からメールが届きました。

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ものすごい氷柱・・・

同じ日本とは思えません。

花屋敷のねこ

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何故かレジ袋の上に鎮座・・・

「ぶた にく」

「たべもの」の話つながりで、本日はこんな絵本をご紹介します。

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タイトルは「ぶた にく」 。
表紙の題字は“ぶた” と “にく” の間に
スペースがあり、字体も違います。

表紙で愛くるしい表情を見せているのは“ぶた”。
私たちが普段食べている「ぶたにく」は
言うまでもなく“ぶた”の“にく”です。

“ぶた”が “にく”になるまでを綴った写真絵本で、
出版社による内容紹介は以下の通り。

『お米や野菜は、どうやって育つかを知っている。
 でも、ぶた肉がどうやって食卓へあがるのかは知らない!』

鹿児島市にある知的障害施設が舞台。
そこでは障害をもつ方たちが、とても大切にぶたを育てている。
ぶたの餌は小学校の残飯。私たち人間が残したものをぶたは食べ、
10か月で出荷され、ぶた肉となる。
その繰り返しで、我々は生きている・・・・
「いのち」「食」を学ぶドキュメンタリー写真絵本。

店に並んでいる“にく”が、元々は生きた動物であることを大人は誰でも知っています。
けれども、その過程を実際に見たことがある人は、どれくらいいるでしょう?

この絵本を開いて頭に渦巻く思い・・・

 これを実際に見たら、“にく”を食べられなくなってしまうかもしれない。
 だとしたら、見てないから食べられるのか・・・頭では知っているのに?
 知っているけど、現実を見ないようにしている?
 それでも、肉を食べることができる。それどころか、おいしいと思っている。
 屠殺を見たことはないけれど、想像することはできる。
 それでも、肉を食べられる・・・
 家で飼っている犬や猫を家族のように大切にしている。
 保健所での動物の大量処分に眉をしかめる。
 どうにかならないかと真剣に考える。
 それでも肉を食べる。
 豚も牛も犬の猫も同じ動物なのに。
 この矛盾はなに?
 いちいち考えてたら、生きていけない?
 だったら肉は食べないで、ベジタリアンになる?
 植物だって、命だよ・・・
       ・
       ・
       ・
       ・
                

答えはどこにもありません。
いずれにしても私たちは、命をいただいて生きています。
強いて言うなら、問い続けることに意味があるのかもしれません。

*「ぶた にく」  大西 暢夫
  幻冬舎
 

「有機マーク」よりずっと確実

ふと見ると、隣で店主Bが「奇跡のリンゴ」を読みながら泣いていました。
シルヴァスタインの「おおきな木」を読んだ時のような感動だ、と言っています。
「奇跡のリンゴ」や「おおきな木」を読んで泣ける店主Bは、なかなか素敵な人間です。

ところで、このマークをご存知ですか?
「有機JASマーク」といって、オーガニックの農産物や加工食品に表示されています。

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農林水産省のHPによると・・・

有機食品のJAS規格に適合した生産が行われていることを登録認定機関が検査し、その結果、認定された事業者のみが有機JASマークを貼ることができます。  

このマークがない農産物と農産物加工食品に、「有機」「オーガニック」などの名称の表示や、これと紛らわしい表示を付すことは法律で禁止されています。

市場の「偽オーガニック」を駆逐すべく、2001年4月から義務づけられた法律です。
つまり、このマークがついている商品は、お墨付きの「オーガニック」という訳です。
この制度ができる迄は表示基準が曖昧で、その商品が本当にオーガニックなのか、
パッケージなどからは判断できない状況でした。
現在では、このマークを目安にすればとりあえず安心です。

が・・・
我が家ではあくまでも“目安”と考えています。

有機認定を受けるには、農家の方にかなりの経済的負担が強いられるようで、
小規模農家にはとても無理だと言われています。

けれども、小規模でも・・・と言うよりも小規模だからこそ
誠実な生産者はとても多いのです。

認定のために費用をかけ、商品の値上げしなければならないくらいなら、
その分を消費者に還元した方がいいという方もいます。

例えば、我が家で定期購入しているオーガニックのお米やお茶には、
有機JASマークがついていません。
けれども私たちは、日々安心してそれらをいただいています。

生産者の方とやり取りしているうちに、
その方の誠実さがとても伝わってきたからです。

もちろん初回はお試し購入ですし、
完璧を求めている訳でもありません(そんなもの、あるわけないしね)。
会ったことがない人でも、
『人となり』は、やり取りの端々に表れるんですよね。
生産者が信頼できるということは、「有機マーク」よりずっと確実だと思うのです。

「商品を買う」という行為には、
「その商品を作る人や売る人を応援する」という意味もあります。

世の中のために何の役にも立てない私にできる、数少ないことのうちのひとつ。

全部は到底無理だけど、
世の中に迷惑かけてる方がすっと大きいけど、
それでも、できる範囲で。

「奇跡のリンゴ」を読了

年末年始の休み中に「奇跡のリンゴ」を読了。

絶対不可能言われていた無農薬無肥料によるリンゴ栽培を実現させた
農家・木村秋則さんの記録です。
現在木村さんのところには農業関係者だけではなく
会社経営者から自殺志願者までが相談に訪れる上、
世界中から講演依頼があるそうですが、
この記録が一農家の単なる苦労話に過ぎないなら、
これほど大きな反響を呼ぶことはなかったでしょう。

確かに、全ての人間が気づくべき理に触れる内容でした。

それにしても、リンゴの無農薬栽培がそれほど難しいことだったとは・・・
この本を読んで初めて知りました。
全くの不勉強で、情けない限り。
普段『なるべく食べるものは自然食に』と心がけているつもりですが、
言われてみれば、減農薬はともかく完全無農薬のリンゴを目にしたことは
これまでに一度もありませんでした。
木村さんが無農薬栽培に成功した今でも、無農薬リンゴの絶対数は極僅かで、
簡単に入手することはできないようです。

以前、農薬会社に勤める知人がリンゴを剥く時に
上半分をかなりざっくり切り捨てているのを見てびっくりしたことがあります。
ヘタ周りのくぼみに農薬がたまるからだそうで、
社内では常識になっていると言っていました。
この本を読んでも分かるのですが、
通常の栽培方法だとリンゴにはかなりの量の農薬が散布されるようです。

「りんごは医者いらず」ということわざも、まんざら間違えでもないようなのですが 、
農薬のことを考えると複雑な気持ちになります。

これは「だったら食べなきゃいいじゃない」という単純な問題ではありません。
また、現代農業のリンゴ農家を責めるべき問題でもありません。
どうしてリンゴは、『無農薬栽培は不可能」と言われるような状況になってしまったのか、
まずはそこから知る必要があるようです。

教育問題や温暖化問題や、日本国債の現況を指摘して
子供たちの将来が心配だと憂う人がいます。
それらの話題にくらべると、
農薬と子供の将来がむずびつけられて語られることはあまり多いとはいえません。

「子供の将来」とはつまり、
「ありとあらゆるものにとっての未来 」と同義。

子供の未来を考える時、食の問題についてまったく無関心なのは、
致命的な認識不足なのだということが、この本を読むとはっきりと分かります。

ちなみに、この世界に木村さんのような人間がいるのだと知るだけでも
幸せな気持ちになります。
表紙の写真! 何とも素敵な笑顔ですよね。

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2011年 更新スタート!

あけましておめでとうございます。

本日から新着アップ再開、相も変わらずのんびりペースの更新になると思いますが、
本年も何卒よろしくお願いいたします。

今年、一番最初に入荷したのはハンガリーの絵本でした。
昨年末に出版されたReich Karolyさんのボードブック絵本2冊からスタートです。

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こちらは静岡県の中田島海岸で撮影した初日の出です。

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さざんか

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義母が送ってくれた さざんか です。
手作り野菜がいっぱい詰まった段ボールの一番上に入っていました。

義母とはつまり、店主Bの母。
今はもちろん、私の母でもあります。

年に何度か届く荷物には、季節の野菜や果物や
手作りの梅干しやお漬け物や・・・
とにかく宝物箱のようにいろんなものが入っています。

店主Bが、進学のために上京した年から、
今までずーっと続いていること。

こんなにありがたいことがあるでしょうか?

店主Bにとっては当たり前になっているようですが、
独身の頃、私はそういう荷物を受け取れる境遇にはなかったので、
本当にありがたく、幸せなことだと心から感じています。

そして、食品だけではなく、いつも庭に咲く花を添えてくれる
母という人が、とても素敵だと思うのです。

私の母が好きだった水仙の花を、
この季節になると必ず送ってきてくれます。

店主Bによれば、子供の頃によく、
母に渡されて学校に庭の花を持っていったとのこと。

庭の花を美しく咲かせ、それを人に惜しみなく贈る人。
母は、そういう人なのです。

もうすぐお正月、
上の写真を持っていって、母に見せようと思います。

「わりと上手に生けられたでしょう? いつも本当にありがとう」

5歳の頃に比べて10分の1

「時間が経つのは、あっという間だな~」
毎年この時期になると同じことを言っているような気がします。

ん~、実はこの時期にだけではなく、
毎日感じてるんですけどね・・・

「子供の頃に比べると、一日の長さがものすごく短く感じる」
なんていう話をすると、誰もが必ず同意するので、
本当に地球の自転速度が速まったのでは?、なんて思ってしまいます。

先日、ある人から「ジャネーの法則」という説があると教えてもらいました。

19世紀にフランスの哲学者であるポール・ジャネさんが
年長者ほど時間が短く感じられるという現象を心理学的に解明して
「時間の心理的長さは年齢に反比例する」と結論付けたんだそうです。

つまり、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1、
5歳の人間にとっては5分の1。
よって、5歳の人間の1日の感覚が、50歳の10日の感覚に当たるということ。

分かりやすく言えば、50歳になると、5歳の頃に比べて
一日の長さを10分の1に感じるということですね・・・・納得。

人種や文化を越えて

毎年年末になると、
グリーティングカードや年賀状の制作依頼があって、
毎回あれやこれやとアイデアをしぼってデザインを考えます。

特にグリーティング・カードはむずかしい・・・
日本の企業がグリーティングカードを制作する場合、
宛先は海外で、しかも一カ国ではないという場合がほとんどです。
この時期のグリーティングというと、日本ではクリスマス用が一般的ですが、
相手がクリスチャンとは限らないので、
クリスマスに限定してカードを制作することはできません。
日本では、クリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝いますけどね。

クリスマスのモチーフは基本的に使えないので、
季節にまつわるものということで、冬のイメージで考えようとしたのですが、
南半球の今の季節は夏!

人種や文化を越えて、通じ合えるものとは?
世界中の人にメッセージを届けようとすると、いろいろな意味で、
余計なものが全部そぎ落とされて、どんどんシンプルになってゆきます。

こんなことで「グローバル・スタンダード」
について学ぶことになろうとは・・・(大袈裟)

それにしても、自分用のカードに着手するのは毎年一番最後。
いつもギリギリです。(苦笑)

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