*たわごとコラム
秋が来ました
昨日も今日も気持ちのいい秋晴れで、家中の窓を開け放して過ごしました。
窓を開けていると、風がいろいろなものを運んできてくれます。
10月1日の午前中のこと
「あ、木犀が咲いた・・・」
さわやかな風の中に、かすかに木犀の花の香りがしました。
私は木犀の花が大好きなので、かなり精度のいい“木犀の香りセンサー”を持っていて、
少しでも その小さな花がほころぶと、風のにおいでわかります。
(ちなみに、杉花粉のセンサーも持っています。・・苦笑)
2.3日前に散歩した時にはまだ、つぼみは堅く閉ざされていたので、
1日のうららかな陽気で一気にほころんだのでしょう。
本日2日、土曜日ですし、とりあえず家事も仕事も後回しにして
散歩に出かけました。
家の中にいると寒いくらいなのに、太陽の下に出ると汗ばむほどの陽気。
それでも、つい2週間ほど前まで続いていたあの猛暑はすっかり姿を消して、
秋らしい爽やかな風が吹いていました。
この街には大きな木犀の木がいくつかあって、花がすっかりほころぶと、
街全体がいい香りに包まれます。
木犀の花は一週間もすれば落ちてしまいますし、
その間に強い雨が降ったりすれば、花期は一層短くなってしまいます。
写真を撮ることはできても、香りを止めることはできません。
ですから、毎年この季節は、散歩に費やす時間がとても長くなります。
この街で一番大きな銀木犀の樹
金木犀よりも香りがマイルドです。
2日の時点で2分咲きぐらい
いつもは金木犀に先駆けて銀木犀が咲くのですが、
今年はほぼ同時期に開花しています。
こちらは住宅地の中心にある樹
足下にも小さな秋
本日のお持ち帰り
部屋に秋を飾ります。
書庫で発掘したもの
真夏が終わって急に冬になったような陽気・・・
体がちゃんと順応していないらしくて、いまいちシャキッとしません。
今週に入ってから少しずつ元気が出てきて、
猛暑の間『無理っ!』と思っていたあれやこれやを、少しずつやり始めています。
その一つが書庫の大改造。
書庫というと大げさですが、プレシャス・ブックスの在庫や、
仕事の資料、作品、アルバムなどなどをまとめてストックしてある部屋があって、
その部屋の書棚を10月中に総入れ替えしようという計画を立てているのです。
とにかく、下準備として本の整理を始めました。
この部屋にあるものは全て、自分で持ち込んだもののはずなのに、
どういうわけか、久しぶりに再会して懐かしい気持ちになるようなものがあったります。
昔の写真とか、ずっと開かずにいた本とか・・・
そういうものを手にする度に、作業が一時中断。
まあ、書庫の整理をする時はいつもこうなんですけどね。
で、今回はこんなものを発掘しました。
昔々、確かドイツの蚤の市で買ったものです。
多分、スラヴ系の言語だと思うのですが、何が書いてあるのかは
さっぱり分かりません。
日付は記されていないので、日記ではなさそうです。
全てのページに、手描きのイラストやコラージュが施されていて、
第一印象は、まさに“手作りの本”。
作者は多分若い女性、とても魅力的な作品ですが、素人です。
コラージュに使われている切り抜きから推測すると、
1960年~70年代に作られたものではないかと思います。
このノートには“本を作ること、編集すること”へのワクワク感が
ぎっしり詰まっています。
なぜ蚤の市にあったのか、その経緯については知る由もありませんが
これを手にした時、作者のワクワク感が一気に伝わってきたのです。
作者は、今頃どこかの出版社で制作に関わる仕事をしているかもしれません。
もしかすると私は現時点で、彼女が制作したその本を持っているかもしれません。
そう思うと、ワクワク感がさらに広がります。
それにしてもこのノートは、古いものなのに何とも生き生きしています。
蚤の市で売られ、今は海を渡って日本にある・・・
ずーっと生き延びてきた理由は、多分そこにあるのでしょう。
我が家の家宝
フィルム・カメラだった頃は、
スナップ写真といえども、今程気軽にシャッターを押すことはできませんでした。
なにせフィルム一本で撮影できる写真の枚数は、多くても36枚。
アルバムに並ぶのは、冠婚葬祭とか旅行とか、何かの記念日とか、
とにかく“特別な時”に撮影した写真がほとんどです。
デジタル・カメラの時代になってからは、枚数規制のたがが外れて
何にでも気軽にカメラを向けられるようになりました。
今では毎日のように、他愛のないものをあれこれ撮影しています。
被写体は種々雑多でとりとめがないのですが、
我が家の場合、特に多いのは犬、空、道ばたでみつけたもの・・・そして、食べ物。
食べ物を撮っているのはほとんどが店主Bで、
日々の食卓から外食した時の料理、飲んだお酒のラベルに至るまで、
とにかくこまめに記録しています。
特に “日々の食卓” に関しては、10年以上もの間ほぼ毎日毎食、
しかも、目玉焼きやお漬け物みたいなありきたりなメニューも外さず撮っているので、
すでにものすごい枚数になっています。
本人曰く、なんでそんなことを始めたのか、
今となっては動機すらも思い出せないとのこと。
目的があるわけでもなく、いつからかそれが習慣になってしまって、
毎回何も考えずにシャッターを切っているのだそうです。
専用ソフトで撮りためた写真をスルスル一覧できるようになると、
最初に目にとまるのは、やっぱり大きなイベントの時に撮影した写真です。
“日々の食卓” なんて、たくさんありすぎて、しかも毎日食べている普通のごはんだし、
一覧表示すると、不思議な模様の壁紙みたいに見えます。
一枚ずつよく見たって、それがいつのごはんだったのかも思い出せません。
だけど、たくさんの写真を流し見しているうちに、じわじわと気持ちが動き始めました。
「こんなにたくさん食べてきたんだな」
「今まで、こんなにいろんなものをつくってきたんだな」
「ずっとずっと続けてきたんだな」
これが“当たり前”のことだなんて・・・なんて恵まれているのだろう。
もしかするとこの写真は、我が家の“家宝”かもしれない・・・
少し前まで、不思議な模様の壁紙にしか見えなかった写真たちが、
急にかけがえのないものに思えてきました。
こんな写真、フォルム・カメラの時代には、決して撮ろうとは思わなかったはず。
まさにデジタル時代ならでは恩恵です。
今日もまた“家宝”が何枚か増えました。
例えお茶漬け一杯でも、家宝です。
9月なのに海は真っ青、真夏色
海の家は8月31日でおしまい。
早々に解体作業が始まって、すでに跡形もありません。
ところが、今日もかんかん照りの猛暑で、海は真っ青、真夏色。
夏休み中ほどではないにしろ、たくさんの海水浴客で賑わっています。
毎年、8月20日頃を過ぎると、何となく海の色も落ち着いてきて、
夕方の風には秋の気配さえ感じる日もあるのに、
今年は延々と“真夏”が続いています。
ニュースによれば、
「今年の夏は、観測史上一番暑かった。8月中の静岡の真夏日は29日」
なんでもかんでも“地球温暖化”に結びつけてしまうことを慎む向きもある昨今ですが、
今年の夏の暑さについては気象庁もはっきりと、
「地球温暖化による異常気象」と公言しています。
以前、東京やその近郊の町中に住んでいた頃には、
報道からの知識として「異常気象」を感じていた部分が、
自分の中にあったような気がします。
つまり、「実感」や「体感」が薄かった。
だから逆に、どんなことでも「異常気象」に
結びつけて考えてしまうようなところがありました。
けれども、こちらに引っ越してきてからは、それを肌で感じるようになりました。
自然を相手に日々仕事をしている方たちは、もっとはっきりと感じているに違いありません。
自然は時に優しく、時に怖い。
極端に変化することもあって、それを「異常」とは言い切れない。
でも、今年の夏は不安を感じずにはいられません。
「やっぱり、なにかが・・・」
今日も、真夏色の海を見ながらそう思いました。
地元民が観る「熱海の捜査官」
テレビ朝日系列で放送されている「熱海の捜査官」というドラマを観ました。
タイトルに「熱海」が入っていなければ、
興味が湧くことはなかったと思うのですが、地元民としてはやっぱり気になります。
舞台は「南熱海市」(実際にはそんな市はありません)。
「南熱海」といえばまさに私の住んでいる町です。
興味津々でチャンネルの合わせてみると・・・
ほとんどが「ここ、どこ?」というシーンばかりでした。
確かに、熱海市で撮影されている場面もありますが、極僅かです。
「南熱海市役所」とか「南熱海警察署」とか「南熱海総合病院」とか、
そこかしこに「南熱海」という文字が頻出しますが、ぜ~んぶフィクションです。
個性的な映像作りで注目を集めている三木聡監督の作品ですし、
キャスティングも豪華なので、ひょっとすると
ロケ地を観に南熱海にやって来るファンの方もいるかもしれませんが、
たどり着いた途端に「ここ、どこ?」と思うことでしょう。
同じような「?」を小説でも感じたことがあります。
あるストーリーの中で、主人公が熱海の海に沈む夕日を眺める場面があったのですが、
そこで私は、一瞬お話を楽しむことができなくなってしまいました。
南北に横たわる半島の東岸に位置する熱海では、夕日は決して海には沈まないのです。
ドラマも小説も「フィクション」なのですから、
現実とかけ離れていたってなんの問題もないわけですが、
地元民としては、そんなところになんとな~くひっかかってしまうんですよね。
時々、海外の人が「日本」をイメージして制作した作品に
とんでもないものがあったりしますよね。
変な着物を着ていたり、変な漢字が使われていたり・・・
日本人の私たちから観ると「こんなの日本じゃないよ~」と
突っ込みたくなるような作品が。
あの、なんともいえない違和感。
日本を描いてくれるのはうれしいけれど、
その作品によって、さらに誤解が広がってしまうかもしれないし、
ついつい作者さんに「どうせなら正しい日本を描いてください」と
言いたくなってしまいます。
もちろん、こんなことは世界中で起きていることで、
例えば、あの名作映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも
そんな逸話があります。
最近、この映画の撮影に使われた邸宅がホテルになって、
世界中から予約が殺到しているという記事が新聞に載りました。
その記事には、こんなことも併記されていました。
だがその名作も実は地元ではなじみが薄く、多くが存在を知らない。映画の受けもいま一つで、1965年に封切られた際は、不人気で早々に上映が打ち切られたという。主人公らが歌う「エーデルワイス」などの曲やセリフの言い回し、民族衣装などが、地元の目には不自然に映り、受け入れられなかったようだ。
「我々は革のズボンをはいて野山を走らないし、ヨーデルも歌わない。すべて米国が作り出した幻想だ」。トラップ邸近くで生まれ育った農家のルペット・ボルフさん(53)はそう話した。
映画やTVや小説は、あくまでもフィクションということ。
それでも、特にヒット作ともなると影響力が絶大なので、幻想と現実が入り交じり、
予想もできないような夢(誤解?)を生んでしまうんですね。
当事者がそのギャップに違和感を感じてしまうのは仕方のないことですが、
リアル・テイストのフィクションだからこそ、面白いのかもしれません。
「熱海の捜査官」も、フィクションとリアルの混在が面白いです。
なんともいえないアヤシサが漂っていて、
その現実離れした雰囲気が非常に「熱海」らしい。
多分そのあたりが、このドラマに熱海が選ばれた理由なのでしょう。
地元民は「ここ、どこ?」といいながら、アヤシサだけはリアルだと感じつつ
このドラマを楽しんでいます。
どこから見ても、どう見ても、どう見えていても、
これは何?
ハリケーン?
銀河?
木星の気流?
いえいえこれは、アイス・カプチーノのクリームです。
横から撮った写真は、こんな感じ(下の写真)。
全部飲み終わって、グラスの底に残ったクリームを真上から撮ったのが、
上の写真です。
こんなふうに写すと、コップの底には見えません。
なんだか・・・きれいです。
そういえば昔、こんな話を聞いたことがあります。
ある有名な歌手のYさんが、“コップ”の絵を描いてといわれて、
サササと描いた絵が二重丸◎だったって。
上手だから誰かが赤ペンで二重丸◎をつけた、っていうわけではありませんよ。
Yさんがとっさに描いたコップの絵が ◎ だった、という話です。
普通、モチーフがコップなら、
横からのアングルで描く人が大多数ではないかと思うのですが、
Yさんの場合は真上からのアングルで描いたそうなのです。
この話を聞いた時には、『ホー』と思いました。
横から見ようと上から見ようと下から見ようと、どこから見ようと
コップはコップなんですよね。
考えてみれば当たり前のことですけど。
ものの見方というのは、無意識のうちに偏ってしまいがちですが、
本当は360度どこから見てもいいし、
見る角度によって同じものが違う形に見える。
そして・・・
どこから見ても、どう見ても、どう見えていても、コップはコップ。
コップの底をまじまじを見つめたら・・・
銀河が見えることもある・・・・かもね。
ちなみに、カプチーノを入れたのも店主Bなら、
おもむろに飲み終えたグラスを撮影したのも店主B。
彼はいったい、いつもどんな角度から物事を見ているんでしょうねぇ・・・謎。
初めて見る光
8月16日の夜、地元の海岸で行われる毎年恒例のお祭りを見にいきました。
日が暮れる時刻に灯ろう流しが始まり、
その後海岸線に250基もの“かがり火”が焚かれます。
その火が絶える前に、花火が打ち上げられてフィナーレ。
壮大なお盆の送り火です。
この街には他にもいろいろな恒例行事がありますが、
私にとっては最も印象に残るイベントです。
だから、1年前の8月16日も、2年前も、その前も、
どんなふうに過ごしたか、はっきりと思い出すことができるのです。
月並みな言い方ですが、「まるで昨日のことのようだ」と毎年のように思います。
「こんな風に、あっという間に年を重ねていくんだな」
「すべてのことが、ぱっと光ってぱっと消えてしまう花火のようだ」
来年もまた同じように
「まるで昨日のことのようだ」と思いながら花火を見上げているんだろうな、
と思って、ふと考え直しました。
それは、当然のことではないのだと。
過ぎてみればあっという間ですが、1年の間にはいろんなことがあって、
昨年の自分と今年の自分は、決して同じではありません。
取り戻すことができないものを思えば、「あっという間の1年」も
決して軽いものではないという実感が湧きます。
いろいろな変化があるにしても、
昨年と同じように花火を見上げることができるのは、とても幸せなことなんですよね。
「来年もここで、今年と同じように花火を見上げることができますように」
そう祈りながら見ると、見慣れたはずのかがり火や花火が、
すべて “初めて見る光” に変わりました。
とても美しい夜でした。
頭の中もバージョンアップしないと
ようやく新PCへの移行作業が終わりました。
なんでしょう、この疲労感・・・
それとも、夏バテ??
とにもかくにも、本日から最新バージョンのソフトで更新です。
頭の中もバージョンアップしないと、ついていけない・・・(苦笑)
さようなら~、私の夏休み。。。
下記作業、苦戦中・・・
明日あたりから、ようやく通常通りの更新ができそうです。
新しいPCへ
ここ数日、古いPCから新しいPCへの移行作業をしています。
古いPCが故障した訳ではありませんが、そのままのスペックでは
仕事に支障が出始めました。
新しいPCに完全移行すれば、仕事効率は格段に上がる見込みです。
ただ、この移行作業も一仕事。
いろいろな設定をしたり、ソフトをインストールしたりと、
なんだかんだで時間がかかります。
他の会社が一斉にお休みに入るお盆休みのうちに、
この作業を全部終わらせてしまうつもりです。
(とか言っている横で、店主Bがお盆中の仕事の打ち合わせをしているし・・・苦笑)
それにしても、こんな作業を今までに何回繰り返して来たことでしょう。
世の中が急速にデジタル化し始めた当初から、技術の進歩に追い立てられるようにして、
ハード・ソフトを次から次へと更新し続けてきました。
私は決して新しモノ好きではないし、
むしろ1つのモノをできるだけ長く大事に使いたいと思うたちなのですが、
コンピューターに限っては、周りの状況がそれを許してくれません。
はじめて仕事にコンピューターを導入した頃は、
1台のMACに、車が買えるような値段が付いていました。
それがわずかのうちに陳腐化してしまい、買い替えを迫られます。
数十万円もはたいて買ったMACと同じ機種の中古が、
1万いくらで店に並んでいるのを見た時の虚脱感といったら・・・(遠い目)。
テレビだって、初代は当時で100万円近くもしたと言いますしね。
これが機械もの商品の定式なのでしょう。
昔に比べたら、一般的にPCはかなり安くなりました。
それでも、 投資額は馬鹿になりません。
仕事に使うなら、最低でも減価償却できるぐらいには、
働かなければならないということなんですよね~。
駆け出しの頃、1本1800円だった製図用のペン先を『高いな~』と思っていたことが
懐かしく思い出されます。(苦笑)
コンピュータのおかげで世の中は本当に便利になりましたが、
その分ゴミも増えたでしょうし、人は忙しくなりました。
私たちは本当に豊かになっているのでしょうか?



















