*たわごとコラム

無いものねだり

今、ちょっとむずかしいお仕事をしている最中です。
先月、「昔の映像に使われていた手描きの文字をデジタルで再現したい」
という趣旨の依頼がありました。
長いことグラフィックの仕事をしていますが、こんな依頼は初めて。
依頼主も、どこに頼めばいいか分からなかった模様です。

素材は、50年近くも前の映像です。
当時、テレビ局や映像制作会社には、文字描き専門の職人さんがいて、
題字も字幕も、映像で使われる文字は全部その職人さんが一文字一文字、
手で描いていたのだそうです。

小さな文字のほとんどは明朝体やゴシック体で書かれているのですが、
真っ直ぐに見える線も、拡大してみると定規を使わず全てフリーハンドで
描かれていることが分かります。

同じ単語が何度も出てきますが、
当然、一文字一文字全部プロポーションが違う上、
画像自体が荒くて、予想していた以上に高難度な作業になっています。

現代では、フォントというものが豊富に揃っていて、
職人さんじゃなくても、誰でも簡単にきれいな文字を扱えるになりました。

おかげで、映像だけではなくどんな分野にでも、
読みやすくてきれいな文字が行き渡っています。
しかも、デザインも豊富で、「手書き風」の文字もたくさんあります。

文字は「書く」ものでも「描く」ものでもなく、「打つ」ものになりつつありますね。

こんな時代に、こんな依頼・・・

明朝体やゴシック体で描かれている、ということは、
当時の職人さんは、少しでも読みやすくするために「活字」に近づけようと
していたのだ思うのです。

それを今逆に、「手描き」に近づけようと努力している・・・

「無いものねだり」というんですかね~、こういうの。

それとも、ここまで完璧な文字が世界に広く定着して初めて、
「やっぱり手描きの方がいい」と気づいた、ということなのでしょうか?

とにもかくにも、
『この手描きの文字には、手間隙かけて再現するだけの価値がある』
と感じる人が、今の時代にいるということなんですよね。

壊れかけています。

*お知らせ
ロシアの本のカテゴリーを再編しました。

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今日の朝ご飯のときの会話・・・

A「今日の朝起きたら、奇跡が起きていた・・・」

B「へぇ~、どんな?」

A「片方の足だけ、昨日の夜履いて寝た靴下がそのままになってた」

B「ふ~ん、じゃあ、きっといいことあるね」

A「・・・(遠い目)」

B「・・・(あさっての視線)」

月末に仕事の締め切りが近づき、 二人ともちょっと壊れかけています。(苦笑)
う~、今壊れるわけにはいかない・・・

ぴーちくぱーちーく

ぴーちくぱーちーく・・・
よく晴れた昼下がり、突然どこからともなく賑やかで可愛らしい声が聞こえてきました。
何ごとかしらと思って、店主Bと一緒に窓の外を見てみると、
前の通りを、たくさんの幼稚園児たちが先生に引率されて横切ってゆくところでした。

うちはちょっと高台に建っているので、建物の3階ぐらいの高さから
見下ろしているような感じになります。

二人でニコニコ眺めていると、引率いていた先生のうちの一人が急にこちらを見上げて、
私たちに気づきました。
全然知らない人だったのですが、なぜかにこやかに手を振ってくれました。
私たちもとっさに手を振って答えました。
先生はさらに・・・
私たちのことを指差して、園児たちに何かを伝えました。
すると、園児たちが一斉にこちらを見上げて手を降り始めました。
なんだかわかりませんが、私たちも思いっきり手を降りました。

「バイバ~イ」
「バイバ~イ」

園児たちの行列は、ぴーちくぱーちくいいながら
少しずつ遠のいていきました。

「バイバ~イ」
「ありがとうね」

モンシロ蝶とクモと私

窓の外を見ると、モンシロ蝶がひらひらと舞い飛んでいました。
とても穏やかで、平和な昼下がりでした。

ほどなく、その蝶は大きなクモの巣に捉えられてしまいました。
しばらくの間もがいていましたが、やがてあきらめたように動かなくなりました。

それは人間の私に、小さな悲しみを感じさせる光景でした。

手の届かないところに張られたクモの巣でしたが、
蝶を逃してやろうと、思わず心の手がのびてしまいました。

けれどもそんなことをしたら、クモは生きてゆけません。

ベランダに出てみると、大切に育てていた花に虫がついていました。
私は、弱ってしまった花を救いたいと思いました。

クモはそういう虫を “食べてくれる” と、子供の頃に教わりました。

けれどもその虫は、いつか蝶になるかもしれません。

今日の太陽にはあたっておいた方がいい

1月9日
『今日の太陽にはあたっておいた方がいい』
と思いました。

今日は、仕事の締め切りが近くて結構忙しいけれど、
ちょっとでもいいから外に出なくては・・・

そうした方がきっと結果的に仕事もはかどる(と思う)

今日の太陽にあたっておくと・・・
きっとこの冬風邪を引きずらくなる(気がする)
小さなことでいろいろ気に病まなくなる(気がする)
とにかく元気が出て、いろいろうまくいく(気がする)

だから、締め切りは近いけど、
何が何でも絶対に、今日の太陽にはあたっておいた方がいい・・・

101109.jpg

『5分だけ』と思って帰ってきたら1時間過ぎてました。
あんまり気持ちがよかったので、
「今お茶の時間にしたらすごく幸せだろうな~」
と思いました。

そうした方がきっと結果的に・・・

(言い訳)
今日は年に何度かしかないゴージャスデーでした。
よく晴れて、暑くも寒くもなく、空気が澄んでいました。
こんな日は、空気にエネルギーが満ちているような気がするのです。

町の文化祭

この町では毎年秋になると、町民会館で文化祭が行われます。
町内に住む人の手芸作品や、絵や、書や、寄せ植えや俳句や・・・
とにかく手作りのものが館内に所狭しと展示され、
子供からご老人までたくさんの人でにぎわいます。

今年は、この町に住むプロのアーティストさんたちの作品も展示され、
さらに見応えのある内容でした。
この町出身の方々のみならず、他からここに移り住んで制作活動をされている
芸術家の方も結構いらっしゃって、陶芸から絵画、彫刻等々
美術館に展示されているようなレベルの作品が、
無造作に並べられていました。

町民会館はとても古びていて、展示台は長テーブルだし、照明もないし、
もちろん、おしゃれな演出もありません。

プロであろうがアマであろうが、子供であろうが大人であろうが、
なんの条件もなく、いろんな作品がみんな一緒に展示されています。

作った人も見に来る人も同じ町の人で、
ニコニコ挨拶を交わしながら、
和気あいあいと作品を愛でるのです。

私たちも、館内でいろんな人に会って、
思いがけず長居をしてしまいました。

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町の棟梁さんが出展されていました。
旅先で見た神社のお賽銭箱を『これはどうなっているのだろう』と
自分でも作ってみたのだそうです。
宮大工の神業的な技術を実際に目にしたのは初めてです。

201107.jpg

まじまじと眺めていたら、棟梁さんご自身がいろいろと説明をしてくれました。

さらに、見知らぬおばあちゃんが声をかけてきて、
「この人は仕事を終わらせた後にこういうものを作っているんだよ。
 たいしたもんだよ。」と更に説明を加えてくれました。
どうやら、棟梁さんのお知り合いだったようです。

棟梁さんは、いつも私たちがお世話になっている陶芸家さんのお家を建てた方で
この町の神社の御神輿を作られた方・・・

みんなどこかで繋がっています。

201107b.jpg201107a.jpg

もうすぐ紙の本が消える?

IpadやKindleが急速に普及し始めて、紙の本が消滅するという話題が増えました。

『いつかはそうなるかもしれないけど、それはまだずーっと先のことだ』と
ぼんやり思っていたのですが、
最近「5年以内に・・・」なんていう記事が新聞に載っていてびっくりしました。

「紙の本」は5年以内に消える? 米科学者が見通し示す

 電子書籍と携帯情報機器の普及にともない、伝統的な「紙の本」は今後5年以内に姿を消すだろう――。途上国の子どもたちにノート型パソコンを配布するプロジェクトを立ち上げた米科学者、ニコラス・ネグロポンテ氏がこのほど、CNNの番組で自説を紹介した。

ネグロポンテ氏はインタビューで、紙に印刷された本を人々に行き渡らせるのは困難だと主張。「アフリカで本を欲しがっている50万人の手に、本そのものを届けることはできない」と語った。

一方、同氏らのプロジェクト「ワン・ラップトップ・パー・チャイルド(OLPC=1人の子どもに1台のラップトップを)」では、「1台のパソコンに100冊の本を載せ、それを100台送れば、村には1万冊の本が届くことになる」という。

紙の本から電子書籍への移行は先進国より途上国でより速く進むというのが、同氏の見方だ。「携帯電話が、もともと電話のなかったカンボジアやウガンダで素早く普及したのと同じこと。米国には固定電話があったため普及が遅れた」と、同氏は説明する。

見出しを見た時には『いくらなんでも“5年以内”なんて』と感じたのですが、
本文を読んでみると、それなりに説得力があります。
ちなみにこんな意見もあって、こちらはかなり現実的です。

電子書籍は5年で本を追い越す?


 ソニーの電子書籍事業部社長スティーブ・ハーバー氏は、「5年以内にデジタルコンテンツの売り上げが物理コンテンツより多くなる」と考えている。音楽、写真のデジタル化と同じパターンが、書籍市場で起きているという。ソニーは、電子書籍市場は「引き返せない段階」を過ぎたと考えており、ハーバー氏は出版社にパラダイムシフトが起きていると説いている。

遅かれ早かれ、紙の本が減少する(あるいは消滅する?)という時代は、
確実にやってきそうです。
ただ、「全ての本が電子化するとすれば、それに伴って失われるものは少なくない」
と思っている人は、多いのではないでしょうか。
そしてそういう人程、この状況を憂慮しているのではないかと思います。

確かに、本を単に情報を運ぶ器だと考えるのであれば、素材が紙であろうと
デジタル機器であろうと、合理的であればよいわけですが、
紙の本には、それだけではない意義が存在します。

例えば絵本は、その内容に合わせて本の体裁を決めているようなものが多いのです。
大地の広がりを表すために横長のサイズになっていたり、
空の高さを表すために縦長のサイズになっていたります。
お話のあたたかみを伝えるためにアイボリーの紙が使われていたり、
登場するクマの手触りを伝えるために、
毛皮のような特殊素材が使われている本さえも存在します。
赤ちゃん用の本が、手のサイズを考えて小さく作られていたり、
汚れても大丈夫なように全ページがビニールコーティングされていたり、
厚紙で作られていたり・・・

とにかく紙の本には、その内容だけではなく、ブックデザインという部分にも
制作者の思いがいっぱい詰まっています。
つまり、オブジェクトとして仕様が、その内容をさらに深めているわけです。

子供と一緒に、あるいは自分一人で絵本を開く時のことをちょっと想像してみます。
デジタル絵本である場合と、紙の絵本である場合と・・・
たとえそれが同じ作品だったとしても、
味わえるものがかなり違ってくるのではないかと思うのです。

デジタル絵本には、デジタル絵本にしか表現できない世界があると思うので、
全否定しているわけではありません。
全ての本がデジタル化してしまうという状況を憂慮しているのです。

ただ、上記ののように、本をなかなか手にすることができない人たちのことを考えると、
どんなスタイルであれ、とにかく出会いの機会が増えることを祈らずにはいられません。
そして、身の回りに本があふれ、しかもあらゆる選択肢が許されている自分が、
どんなに恵まれているのかを思い知ります。
教育のこと、環境のこと、いろいろな側面から考えると、
どんなに本好きな私でも、一概にデジタル化に反対することはできません。

いずれにしても、この流れはもう誰にも変えられません。
いつか遠くない未来に、
「昔は、本はみんな紙でできてたもんだよ・・・」
なんていう時代がくるのでしょうか?

自分で自分をほめてあげたい

風邪を引きました。
1日目は寒気とくしゃみ、2日目は頭痛で寝込んで
3日目にはほぼ治りました。
優秀、優秀(自分で自分をほめてあげたい・・・笑)

昔は、ちょっとぐらい具合が悪くても、
なんだかんだで無理をして、結局こじらせてしまうことが多かった・・・
その時は、「休んだら○○に迷惑をかける」とか、
「仕事が滞る」とか、それなりに理由はあったのだけれど、
今振り返ると、
目先のことばかりを見ていて一番大切なものが見えてなかった・・・
ということがほとんどです。

病気で寝込んでいたら、誰かの看病をしてあげることもできません。
・・・って、なんか変な言い方だけどね。

人生はエラーだらけ

「僕の人生に初めて起きたエラー」
と、18歳のT.N は言いました。

エラー・・・
小学生の頃からコンピュータ少年だった、Tらしい表現・・・

彼の母であり、私の友人であるJさんは、1月に突然倒れて以来、今も眠りの中にあります。
それは、彼の受験日の前日でした。

N家とは、家族ぐるみの長いお付き合いで、
3人兄弟の長男Tとは、時折時間を忘れて、いろいろな話をします。

「私は君よりもちょっと長く生きているけれど、人生はエラーだらけだよ」
と、とっさに私は答えていました。

突然それまでの日常が変わってしまうような予期せぬ出来事をエラーというなら、
まさに人生はエラーだらけ。
そもそも予期できることなど、どれくらいあるだろう?

後になって思えば、18歳のTにとっては何の救いにもならない答えですが、
それは間違いなく “君よりもちょっと長く生きている” 今の私の実感です。

だからといって、私ごときに偉そうなことはなにも言えないのですが、
口先だけのきれいごとを言っても仕方がありません。

生きていれば、どんなことでも起こりうる。
それはおそらく、何人も抗うことのできない真実です。
若いTには、これからもたくさんの”予期せぬ出来事”が起こるでしょう。

ただあの時の会話では、
“予期せぬ悲しい出来事”のことばかり話していたような気がして、
少し言葉が足りなかった、と今になって思うのです。

“予期せぬ出来事” は、決して”悲しい”ことだけではないのだということを、
もっとちゃんと伝えるべきでした。
つまり、未来にはあらゆる可能性があるのだということを。

「例えば、君たち家族に出会えたこと。
 こうして成長した君と、心を割っていろんな話ができるようになったこと。
 自分の未来にそんなことが起こるなんて、私が君と同じ年だった頃には、
 予想もできなかったよ」

生きるって、悲しいことも多いけど、まんざら捨てたもんでもない・・・

それも間違いなく、”君よりもちょっと長く生きている” 今の私の実感です。

けれどもそんなこと、Tはきっと分かってる
・・・それでもやっぱり、ちゃんと言葉にして伝えたいのです。

メールでシェアしあっている映像

犬好きの友人が教えてくれた映像です。
地球の裏側では、かなりの人気者になっているようです。

店主Bは「この子は楽しんでいるのだろうか?」とちょっと心配していますが、
この映像を見ている限り、いやがっている様子はないような気がします。
・・というか、やっぱり楽しそう・・・

 

*音が出ます! 
 上部のグリーンの帯は関係ないので無視してください。


上の画像が見られない場合は、こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=9UenPv_Ajfw

こちらは私が返事に添えた映像。

私たちはいつも、こんな映像を見つける度に、
メールでシェアしあっているのです。

上の画像が見られない場合は、こちら
http://www.youtube.com/watch?v=N9-3zfs33a0

いいことノート

「いいことノート」をつけたことがありますか?

最初に考えた人が誰なのかは知りませんが、
時々、物語やドラマやエッセイにも登場します。

「よろこびノート」とか「元気ノート」とか「ありがとうノート」とか、
名称は様々ですが、いずれも自分が感じたポジティブなことを
書き留めるノートです。

確か、子供の頃に読んだ児童文学にも、そういうストーリーがありました。
悲運な主人公の少女が、懸命に“いいこと探し”をして、
つらい日々を乗り越えてゆくという筋書きです。
その少女がノートに記録していたかどうかはうろ覚えなのですが、趣旨は同じです。

実際に「よろこびノート」をつけることで苦境を脱したことがあるという作家さんの
エッセイを読んだこともあります。
どんなことでもいいから、その日、何かうれしかったと感じたことを書く・・・
最後に「・・・でうれしかった」としめくくる・・・

物語でも実話でも、 私の知る限りそのノートは、
苦しみの中で光を見いだすために使われていました。
出口の見えない暗闇の中で、
少しでも“生きる”ことに対して前向きになれるように、
どうにかこうにかポジティブと思えることを探し出し、ノートに記すのです。

そもそも苦境の中にいながら、ものごとをポジティブに捉えるなんて、
そう簡単にできることではありません。
ですから、ノートに記されるのは大抵日常の中のささやかな、
本当に他愛もない出来事ばかりです。

「今日はネクタイがうまく結べた」
「卵がちょうどよく茹でられた」
「時計を見たら、たまたま3時33分だった」
「公園でかわいい犬を見た」

とるに足らないようなことでも、それを記すノートを作ることで、
凍り付いた心が少しずつ、小さな光を感受できるようになってゆくのです。

少し趣旨が違うかもしれませんが、実は・・・私もつけています。
ノートの名前は「“たわごと”コラム 」。
そう、このコラムです。

一応、ショップのTOPページですし、
プライベートな日記を書くのとは心持ちが異なりますが、
それでもこのコラム欄は私にとって、
気づきや、感動や、感謝や、学びや、よろこび・・・を記録しておくノートです。

このサイトを立ち上げた当初、本欄にはお知らせや商品情報などを掲載していました。
時折、極短い店主からのメッセージを添えていましたが、
みなさんから、折に触れそのメッセージに対してのお返事をいただくようになり、
いつしか、こうした“たわごと”を連ねるようになってゆきました。

私は元来筆無精ですし、プライベートな日記やブログだったら
到底続けることはできなかったと思います。
そして、誰かの目に触れるかもしれないこの場所に
私というちっぽけな人間が、個人的な内容で記してもよいことがあるとすれば、
それはやはり、『分かち合えればうれしい』と思えるものだけです。
もちろん、それらはすべて、とても個人的で、
とるに足らないことばかりだと自覚しています。
その上、脱線することもしばしばで、なんの脈絡もないのですが、
そういう気持ちでコラムを書いていたら、
いつの間にか私なりの「特別なノート」になってゆきました。
「いいことノート」というよりも、子供の頃、
拾ったドングリや貝殻を入れていた「宝物箱」にイメージが近いかもしれません。

こんなへっぽこりんなコラムでも、今となっては数も増え、
小さいながらも確かな光となって、
道を見失いがちな私の足下を照らしてくれます。

いつまで続けられるか分かりませんが、続けられるうちは、
この「宝物箱ノート」にできるだけたくさんの
ドングリや貝殻を集めたいと思っています。

イマジンを聞く度に

10月9日は、故ジョン・レノンの誕生日
生きていれば70歳
亡くなったのは1980年ですから、もう30年も経つんですね・・・

煩雑さの中で大切なものを見失っていても、
時とともにあらゆることが風化していっても、
イマジンを聞く度に、決して変わることのない普遍的なところに
一瞬にして立ち戻れる気がします。

発表当時は「共産主義の歌」と言われ、
宗教家達からもクレームがつきました。
ベトナム戦争やイラク戦争の時には、放送規制の対象になったりもしました。

歌が規制される世の中なんて・・・本当に恐ろしい。

平和を揺るがす大事件が起きた時に流されることが多い歌ですが、
もう、そんな場面で聞きたくはありません。

そもそも、そんなことが起きないようにという
メッセージが込められた歌でもあるのですから。

この歌が本当の意味で不要になる時代は、
いつ、やってくるのでしょうね。

Imagine there’s no heaven
It’s easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today….

Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace….

You may say I’m a dreamar
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world….

You may say I’m a dreamar
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて存在しないと
やってみれば簡単さ
僕達の下に地獄なんて無い
僕らの頭の上にはただ青い空が広がっているだけ 
想像してごらんすべての人々が
今日という日を生きているんだと…

想像してごらん 国境なんて存在しないと
難しいことじゃない 
殺すことも誰かに殺されることもない 
宗教なんてものも存在しない
想像してごらん すべての人々が
平和のうちに暮らしていると…

君は僕のことを単なる夢想家だと言うかもしれない
でも、僕独りじゃないんだ
君もいつか、僕らに加わってくれるといいな
そして世界は一つになるんだ

想像してごらん 所有なんて存在しないと
君にできるだろうか
貧困になったり飢えたりする必要はない
兄弟同志なのだから
想像してごらん すべての人々が
この世界を分かち合っているのだと…

君は僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
でも、僕独りじゃないんだ
君もいつか、僕らに加わってくれるといいな
そして世界は一つになるんだ

http://www.youtube.com/watch?v=okd3hLlvvLw&feature=related

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