*たわごとコラム
文系人間
あなたは文系ですか?それとも理系ですか?
私は高校生の頃「文系」を選んで以来、文系人間になりました。
以来、計算ができなかったり、機械音痴だったりすることも、
ぜ~んぶ「文系」のせいにしていました。(笑)
かといって、文系の教科が得意だったのかといえば、そんなことはありません。
どちらか選ぶことを強要されたので、
仕方なく『どちらかといわれれば・・・文系?』といった感じで進路を選んだのです。
それなのに、自分はなんとなく「文系」の人間なのだと、
無意識のうちに納得してしまっていました。
高校1年生のボーイフレンドY君は、今まさに学校から選択を迫られているところで、
悩みに悩んでいます。
彼は、本を読んだり、絵を描いたりすることが好き。
物理や生物にも興味があります。
今からどちらかを選べということは、将来の可能性を半分手放せをいうことなのでしょうか。
実際のところ、高校生の時点で生徒を画一的に文系、理系に分けるのは、
日本だけなのだそうです。
そもそも、全ての学問を100%文系、理系に分けることなどできるのでしょうか?
例えば経済学部は文系ですが、どうして文系と言い切れるのか理解できません。
どちらかに画一的に分類してしまうのは、無意味・・・を通り越して
「弊害が大きい」と言い切れるのではないかと思うのです。
自分を「文系人間!」と定義づけてしまうことで失ってしまったものは、
結構大きいような気がします。
理系(と思えるようなこと)は、無意識のうちに蚊帳の外にしてしまいがちだからです。
これはもう、マインドコントロールみたいなものですね。
私も、いつの間にか染み付いていた「文系人間」という意識を返上したいと思います。
計算音痴、機械音痴・・・なだけでなく、言葉音痴、社会音痴、経済音痴・・・・
よ~く考えてみると、文系も理系も関係なく、まんべんなく音痴でした。(笑)
炎が見えるストーブ
寒い一日でしたね。
天気予報でも、上空に冷たい空気が入り込み、真冬なみの寒さになるといっていました。
ここ数年、寒い季節を迎える度に、何かいい暖房器具はないかと探していました。
石油、ガス、電気・・・いろいろなタイプがあって、機能も一長一短。
あれこれ考え過ぎてなかなか選ぶことができずにいたのです。
少し前までは、ランニングコストが一番安いのは石油ストーブでしたが、
灯油の値段が上がった上に、エアコンの機能が良くなって、
今ではエアコン暖房の方が安いのだそうです。
だけど、まだ使えるエアコンをわざわざ買い替える気にはなれません。
その他の電気暖房は、ちょっとパワー不足。
電磁波も気になります。
以前、足元暖房用に使っていた遠赤外線ヒーターの電磁波を計ったら、
カウンターの針が振り切れてしまってびっくりしました。
かなり離れないと、安全レベルになりません。
しかも、そんなに離れてしまったら、ちっとも暖かくないんです。(苦笑)
いろいろ最新鋭の暖房器具も検討しましたが、
結局、時代を逆行するようなタイプの石油ストーブを買ってしまいました。
決め手は“炎が見える”ということ。
“炎が見える”暖房といえば、まきズトーブや暖炉が理想的なのですけれど、
現状それは無理なので・・・
電気を消しても、このストーブがついていると、
部屋がほんのり明るいです。
時折なんとなくこのストーブの近くに行って、
手をかざしています。
そのうち、このストーブでお餅でも焼こうかとか、
干物でもあぶろうとか、
そんな状況になるのは目に見えています。
一日掛けて、煮込み料理を作るのもいいかも。
何よりも、炎を見つめていると気持ちが安らぐんですよね。
暖房効率は決していいとはいえませんし、
機能は至ってシンプルですが、
とりあえず、いい買い物をしたと満足しています。
ちなみに、足元暖房は湯たんぽに変えました。
いろいろ工夫して使っています。
かなり、快適!です。
鳥たちの楽園
雨上がりの海岸に、ゲイジツが出現していました。
ベンチにもなりそうだし、「なかなか素敵」と思うのですが、きっと何日もしないうちに漂着ゴミとして撤去されてしまうのでしょう。
秋が深まって人影の少なくなった海岸には、鳥たちの群れがやってきて羽を休めています。
湾内でフィッシュ・ハントしている鳥をよく見かけるので、 魚たちもすぐ近くまでやって来ているようです。
海水浴や花火で賑わっていた夏の間は、いったいどこにいっていたのか・・・
夏休みが終わってからまだ3ヶ月も経っていません。
けれども今はもう、鳥たちの楽園。
人間がもう少しだけ謙虚になれたら・・・
ただそれだけで、
傷ついてしまった自然も、あっという間に回復できるのではないかという気がしてきます。
今ならまだ、間に合うのかも。
ドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たち
今月21日から東京の板橋区美術館でカーライとブラチスラヴァの作家9人による挿画の原画展が開催されます。
『アンデルセン童話集』の原画など、本邦初公開の作品が展示されるそうです。その上、ご夫婦で来日される予定もあるそうで、カーライファンにとってはもちろんのこと、東欧アートや絵本の愛好家にとっても、またとない機会になりそうです。
この展示会が、カーライを愛する方々の尽力によって実現したことは言うまでもありません。逆に言えば、カーライの作品にはそれほどの魅力(魔力?)があるということです。私は数年前にも何点かの原画を目にしたことがありますが、その時に感じたものは想像を遥かに超えていました。カーライの作品と対峙すると、どうも魔法にかかってしまうみたいです・・・一度魔法にかかってみたいという方、是非足を運んでみてください。
↑関係者の方がポスターとリーフレットを送ってくださいました。
画像では分かりずらいのですが、本の形に型抜きされた凝ったデザインになっています。
見知らぬ幼稚園生から「こんにちは」
先日、スーパーのお菓子売り場で飴を物色していたら、
突然背後から「こんにちは」と声をかけられました。
振り向くとそこには、見知らぬ幼稚園生の女の子。
黄色い帽子をかぶって、こちらを見上げています。
一瞬「?」 と思ったのですが、反射的に「こんにちは」と答えました。
すると、その女の子はニコッと笑って、
そのままトコトコと去ってゆきました。
私はなんだかとても温かい気持ちになって、
それからすぐに、一瞬「?」と思った自分に「?」を感じました。
「こんにちは」は、人と人を結ぶ魔法の言葉。
顔見知りであろうと、なかろうと、
そんなことはどうでもいいことなのに・・・
休んでよし
ここ2.3日、頭が重くてなんだかフラフラ・・・店主Bも関節が痛いと言い出しました。
いよいよウチにもインフルエンザ!?
と思ったのですが、丸一日完全休業して休んだら治ってしまったので、
二人とも単なる体調不良だったようです。
最近、この辺りでもマスクをしている人が多くて、
新型インフルエンザがだんだん身近に迫って来ていることを実感します。
注意喚起されているのか、それとも既に感染者が出ているのか、
近くの幼稚園では、園児も先生もお迎えの親御さんも、
み~んなマスクを付けていて、最初目にした時にはちょっとびっくりしました。
けれども今となっては、 外出する人はみなマスクをすべき状況なのかもしれませんね。
日本は、アジアの国々の中でも特に感染者数が多いそうですが、
いったいどうしてなんでしょう?
人口密度が高いからだとか、まじめに医療機関にかかるから数が把握しやすいだけだとか、
いろんなことが言われていますけれど、 なんだか気になる事実です。
もしかすると、“まじめ過ぎ? ”も原因の一つなのではないかと思ったりしています。
「ちょっとぐらいの熱や咳では休めない」という日本人気質。
私のまわりにもたくさんいます、まじめ過ぎて身体を壊してしまう人。
誰かに「休んでよし」という承諾がもらえないと、
どうしても休めないのだという人もいます。
どうして、そんなにがんばっちゃうんでしょうね。
インフルエンザなどの感染病の場合には、そのまじめさが仇となりますよね。
いつもいつもがんばり過ぎている人、
ちょっとでも具合が悪くなったら、すぐに休みましょうね。
世界が「休んでよし」って言ってます。
・・というか、 「休んでください」って頼んでます。(苦笑)
充分に休んで、ついでに「がんばり過ぎ病」への免疫力も付けちゃいましょう。
きれいなものは、きれい。
きれいな手だな・・・と思って、ついつい見とれてしまいました。
フォルムが美しいだけではなく、とても優美な印象を受けるのです。
そういうと、本人は「あまり嬉しくない」と苦笑いをしました。
実はその手の持ち主は、高校3年生の男子なのです。
下の写真は先月、約2年半ぶりに泊まりがけで遊びに来てくれた時に撮ったもの。
たった2年半の間に、彼は驚く程成長し、大人びていました。
小学生の頃から知っているけれど、その頃には気がつかなかった・・・
本人に言わせると、いくら褒め言葉でも
男なのに「かわいい」とか「きれい」とか言われるのは不本意なのだそうです。
けれど、年をとって、「男らしく」とか「女らしく 」という概念が、
すっかり希薄になってしまった私からすると、
そんな彼の言い分がとても微笑ましく聞こえます。
「男なのに、そんなきれいな手・・・」なんていう人がいたら、
その人の心が濁っているのでしょう。
きれいなものは、きれい。
彼は、相手が誰であろうとその人の気持ちになって話すことができます。
彼の、優美な手の表情は、
その、思いやりのある言葉づかいと同じように、
人を優しい気持ちにさせるはず。
「男らしく」でも「女らしく 」でもなく、「君らしく」です。
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こんなサイトを見ていたら、ついつい時間を忘れてしまいましたよ~。
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特に、落ち込んでいる人は必見です。
私も、ついついつられて、
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とても小さな旅
月曜日の祝日、店主Bの突然の誘いで小旅行。
今すぐ出発するというので、とりあえずお財布だけ持って着の身着のまま家を出ました。
まず向かった先は、最寄りの駅。
『電車に乗ってゆくのかな?』と思いきや、
「ほら~ 」と店主Bが指差した先には、
溢れんばかりに小さな橙色の花をつけた大きな金木犀の木。
あまり駅を利用しないので、今までぜんぜん気がつかなかったのですが、
改札口の横に、大小の木が並んでいました。
今が満開、辺り一面にいい香りが漂っています。
この駅は、改札口を出た時に見える大きな桜の木が有名で、
「旅で訪れるなら春が一番」と友人に伝えたりしていたけれど、
これからは、「秋もいいよ 」と言うつもり。
それから、甘い香りに誘われて見慣れた街を気ままに散歩。
よくよく見たらあっちにも、こっちにも。
開花期以外は分かりずらいのですが、
お庭に金木犀の木を植えているお家は、結構多いんですね。
道すがら、知り合いのおじいちゃんと立ち話をして、
チビやツクシやベルに挨拶をして、
気がついたらだいぶ長いこと歩いていました。
この街に一軒しかないコンビニに入って、何かおやつでも・・・
と思ったのですが、急に思い立って缶ビールとおつまみを購入。
それを持ってトコトコ海岸に行き、防波堤の先っぽでおもむろにシュパッ!
どこにでも売っているありふれたビールだけれど、やたらに美味しい一本でした。
気がつけば夕暮れ、暑くも寒くもなかった空気が少しずつ冷えてきて、
お休みの終わりを告げていました。
「そろそろ、帰ろうか・・・」
とても小さな旅でしたけれど、しみじみ楽しい一日でした。
まさに、一年に何度とないゴージャス・デーです。
裏山で出会った堀内誠一さん
先日、思いがけないところで堀内誠一さんについての話を聞く機会がありました。
裏山に住んでいる陶芸家Mさんのお招きで工房を訪れた時のこと、
奥様にとってのプレシャス・ブックが「ぐるんぱのようちえん」なのだという
お話を伺いました。
以前奥様は保母さんだったそうで、絵本に触れる機会が多かったのだそうです。
「当時は毎日のように子供たちに絵本の読み聞かせをしていたんだけど、
園児の中に、特に“ぐるんぱのようちえん”がお気に入りだった子がいたの。
知的障害のある子だったんだけど、 毎日のように“ぐるんぱのようちえん”を
私のところに持って来てね、 読んであげる度に泣くの。
毎日のように読んであげるんだけど、その度に涙を流すの」
そのとき以来、「ぐるんぱのようちえん」は、決して忘れることのできない
特別な一冊になったのだそうです。
話はそれで終わりではありませんでした。
ご夫妻は、数年間メキシコで陶芸の指導をしていたことがあり、
現地に赴く途中、飛行機の乗換えのために立ち寄ったアメリカで、
偶然に堀内誠一さんに出会ったというのです。
「予約していた部屋がオーバーブッキングでね。
その相手がたまたま 堀内誠一さんだったの。
私たちの方が後に到着したから、結局部屋がとれなかったのよ 。
それを知った 堀内さんは、私たちに本当に親切にしてくださって、
街を案内してくれたり、ごちそうしてくれたり・・・
お話を聞いているだけでも楽しくて、本当にすばらしい方だった・・・ 」
その時には「ぐるんぱのようちえん」の作者だとはまったく気がつかなかったそうで、
後になって著名なアーティストなのだということを知ったのだそうです。
「『日本に帰ったら、またお会いしましょう』って言ってくださって、
それはそれは楽しみにしていたのに、
私たちが帰国してすぐにお亡くなりになってしまったのよ 」
堀内さんは、ここからそれほど離れていない街に家を建てる予定だったそうで、
いつでも会えますね、と住所を交換しあったのだとか。
「もしもまだご存命だったら、 今ここで一緒にお酒を飲んだりしていたかもしれないわ。
本当に本当に残念・・・・」
今ここで一緒に・・・?
私は一度も堀内さんにお会いしたことがありませんが、
こんなところでこんなふうに、堀内さんの人となりに触れることになろうとは、
思ってもみませんでした。
これまでに、堀内さんの作品を何冊も何冊も手にしました。
絵本好きなら、堀内さんの作品に出会わずにいることの方が難しいくらいに、
今でもたくさんのタイトルが出版されています。
そしてこれからも多分ずっと版を重ねてゆくことでしょう。
私がこんなふうに思いがけない場所で、今は亡き堀内さんに出会ったように、
今後もたくさんの人が、いつかどこかでその作品に出会い、
あるいは、生前の彼を知る人たちの語り伝えから、その人柄を偲ぶことでしょう。
堀内さんは日本に溢れています。
それは言うまでもなく、彼の作品がいろいろな意味で優れているからですが、
テクニックだとか経歴だとかいう前に、
作者である堀内さんの人柄が、それらの作品に深く投影されているからなのだと
今回Mさんの話を聞いて、しみじみと感じたのでした。










