*たわごとコラム

「風立ちぬ」

遅ればせながら『風立ちぬ』を観ました。

ファンタジー・・・・ではないのですね。

宮崎駿監督は、どのような思いでこの作品を制作したのでしょうか。

映画を観終わった後、監督ご本人の言に触れたいという思いが強くなり、
公開当時にTV放映された『宮崎駿スペシャル “風立ちぬ”1000日の記録』という
番組を観てみることにしました。
『風立ちぬ』の着想から公開までの3年間にわたって宮崎駿監督に密着取材し、
監督自身の言葉を丁寧に拾い集め、心の軌跡を記録したスペシャル番組です。

もちろん、この番組に記録されていることが全てではないにしろ、
監督が大きな覚悟を持ってこの作品を制作したのだということが、充分に伝わってきました。

『風立ちぬ』への思いが伝わる言葉の数々・・・

「作りたいから作るとしか言いようがない。」

「俗受けしないことがわかっていてもやる。」

「オレには時間がないんだよ。」

この作品には、従来作品よりもずっと監督自身の純度の高い本音が込められているのだということが伺われます。

「今は、女の子が別の世界に行ってどうのなんていう映画を作っている場合じゃない。」

「『風立ちぬ』というのは、”激しい時代の風が吹いてくる、吹きすさんでいる”、
その中で生きようとしなければならないという意味です。」

もはや戦後ではなく戦前なのだという危機感を抱きながら、
そんな時代にどのような作品を作るべきなのかを自問し、苦悩しながら制作を続ける監督の姿が印象的でした。

『風立ちぬ』のキャッチコピーは

「生きねば。」

宮崎監督が覚悟を持って世に送り出したこのメッセージを、今、心の中で反芻しています。
 
 

けれども私は、「ファンタジーを作っている場合ではない。」と語る監督に伝えたいのです。

私たちが、これまでのジブリ作品からどれほどたくさんの“生きる力”を与えられてきたかということを。

世界の多くの人々にとってジブリ作品は、子供の頃に受けた無償の愛のように魂に染み込んで、
折にふれて瞼の裏に甦り、無意識のうちにその歌を口ずさみ、生涯寄り添ってくれる心の友になっています。

暗い気持ちに覆われた時にも、懐かしいあの音楽を聴けば、あの物語を思い出せば、
その度にあたたかな気持ちになって、帰るべき場所を、進むべき未来を、明確に示してくれるのです。

シブリ作品は、この世界にたくさんの平和の種を蒔き続けています。
これからどんな時代になっても、世界中の人々の平和への思いを繋いでくれることでしょう。

もちろん、私の心の中にもその種は芽吹いています。

 
 

宮崎監督とジブリスタッフのみなさまへ・・・
“生きる力”を、ありがとうございます。
この拙いコラムに、感謝の気持ちを込めて。

チンプンカンプンな私を助けてくれたのは

サイトのリニューアルを決意した去年の夏、
まずは固い決意を持ってプログラムの参考書を買いました。
とりあえず何から初めていいのか分からなかったので。

で、一応パラパラっと読みましたけれど・・・チンプンカンプンでした。(苦笑)

『本当に自分で出来るのかしら』と疑問が深まるばかりでしたが、
『案ずるより産むが易し』と自分を奮い立たせて、とりあえず制作に取りかかりました。
分からないことがあったら、参考書を読めばいいやと高をくくっていたんです。

実際に始めてみると、最初から分からないことだらけで、毎日のように悩みました。
もうダメだ〜と何度もあきらめかけました。

でもね、結局参考書は役に立ちませんでした。
・・・というよりも、開く気になりませんでした。(苦笑)

チンプンカンプンな私を助けてくれたのは、ネット上に散らばっている関連ブログです。
たくさんの方たちが、具体的な制作方法、解決方法などを詳細に記してくれていて、
それらの記事を参考にさせてもらって、少しずつ前に進むことができたのです。

世の中には奇特な人たちがいるものだ、と感心しました。
そういう人たちがいなければ、リニューアルはとっくに頓挫していたことでしょう。

自分が学んだもの、乗り越えたものを記して発信する。
それがどこかで誰かの助けになり、役に立つ。
これも立派な人助けですね。

今回自分が何度も助けてもらって、
インターネットにはそういう可能性もあるんだと、つくづくと感じました。
(もちろん、インターネットだけではありませんけれど。)

記事を書いてくださった方たちに、この場を借りてお礼を申し上げます。
皆さんの記事のお陰で本当に助かりました。ありがとうございました。

このサイトは、未だに未完成であちこち不出来なところだらけですが、
これからも少しずつですが前に進んでいけそうです。

キセキの初日の出

年末年始は毎年店主Bの実家で過ごすのが恒例です。
そして、店主Bは必ず最寄りの海岸で初日の出を拝みます。

私も何度か一緒に見に行ったことがあるのですが、
その海岸は外海なのでとにかく寒さが厳しく、遠州の空っ風に負けて大風邪を引いてしまったことがあり、
それ以降は天候を見ながら行くか行かないかを決めるようになりました。

今年の元旦、日の出の時刻の1時間前に起床して、窓から眺めた空は厚い雲に覆われていました。
前日に見た天気予報は雪、こりゃダメだと私は早々にあきらめてしまいました。

けれども、店主Bは迷うことなく、そそくさと着替えて出てゆきました。

ここからは店主Bからの報告。

「家を出た瞬間に、ポツリポツリと雨が降ってきて、
それでも『まあ、行ってみよう』と思って車を走らせてたら、
すぐに雪に変わってさ、あれよあれよという間に猛吹雪みたいになちゃったんだよ。
『これじゃ無理かな』と思ったんだけど、たどり着く直前に雪がやんで、
ダメもとで車を降りて海岸に行ったら急に青空が広がってきたんだ。」

ご来光を拝んでしばらくしたら青空は消えてしまい、またすっかり曇ってしまったのだそうです。

「・・・・でも、行かなくてよかったよ。海岸はものすごく寒かったよ。
行ってたらきっと今年も風邪を引いちゃってたよ。」
という最後の一言は、店主Bの私に対する思いやり。

私は、店主Bが撮影してきた「キセキの初日の出」の写真を拝ませてもらって、
ご利益のお裾分けをいただいたのでした。

「ものごとは、最後までどうなるか分からない。あきらめない人にだけキセキは訪れるんだ。」
なんていう、まるで青春ドラマのような展開を、特に意識することもなく体験した店主B。

「そんな大それたことじゃないよ。」と笑っていますが、
「初日の出のご利益はきっとある。」と素直に思える出来事でした。

ちなみに店主Bは15年間連続で初日の出を見ています。
15年間、毎回日の出の時間には晴れていたということです。
そして何より、毎回どんなことがあっても見に行ったということです。
これだけでも十分にすごいことだと思うのです。

今年は、年頭からちょっと『店主Bを見習わなければ』と思っているへっぽこ店主Aです。

これがキセキの初日の出。

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眠れない夜に、年賀状。

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今年の年賀状は、ひつじがいっぱい。

すでに友人2人に「よく数えたで賞」を送りました。
「もう一度数えま賞」も3人。(笑)

2015年、よく眠れる日々が続きますように。

HAPPY HOLIDAYS !

今年の冬至は12月22日でした。しかも、19年に一度の「朔旦冬至」でした。
「朔旦冬至」というのは、新月が重なる冬至のことをいいます。
この日を境に日が延び始め、さらに月も膨らみ始めるので、
太陽と月が同時に復活するめでたい日とされているそうです。
クリスマスも、もともとは冬至祭だったという説があります。
すぐにお正月を控えていますし、この季節は何かとおめでたい空気が漂いますね。

とはいえ、今年もいろんなことがあって、
あれもこれもと思い出すとそんなに浮かれた気分にもなれない、という向きもあるかもしれません。
けれども、『いろいろあったけど、とりあえずここまでなんとかやってこれた』ということは、
それはかなりすごいことだと思うのです。
そもそも何もない年などあるわけないのだし、何も抱えてない人などいるわけもありません。
ほんとに、みなさんご苦労様でした。

お陰様で今ここに在ることを祝って、
また来年もみんなが同じようこの日を迎えられることを祈って・・・HAPPY HOLIDAYS!

ブッタのかつら?

ロマネスコを買ってきました。

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こんな野菜です。

ヨーロッパではよく見かける野菜ですが、日本では最近まであまり売られていませんでした。
先日、近所のスーパーで見つけて思わず手に取りました。

それにしてもこの野菜、見れば見るほど不思議。
我が家では、「ブッタのかつら?」なんて冗談を言いながら楽しくいただきました。

よ〜く見ると、個々の蕾が螺旋を描いています。
これがかなり規則的なので『いったいこの野菜にはどんな魔法がかかっているんだ?』
と思えてきます。

なんでも、こんなふうに部分と全体が自己相似になっている形をフラクタルというのだそうで、
更にこの螺旋にはフィボナッチ数列とやらが関わっているんだそうな。

自然界の様々なものがこの数列に関わっているんだそうですが、
ロマネスコはとにかく誰が見ても数学的な要素を感じ取れるので、
何かと話題にもなるわけです。

それにしても、一見多種多様で混沌として見えるこの自然界が、
あるシンプルな法則によって成り立っているのだということを知ると、
ひとつの野菜にも神のみわざを垣間見るようでとても興味深いです。

「ブッタのかつら」というのも、結構、的を射た冗談かもしれません。(笑)

赤トンボはどこへ?

すっかり寒くなりましたね。
秋はもう終わりです。

今年の秋は、ほとんど赤トンボを見かけませんでした。
赤トンボ、どこへ行ってしまったんでしょう?
水田がある地域に行けば、まだ見られるのでしょうか?

気がついたら、いつの間にか・・・
そんなふうに変わってしまったものは、いったいどれぐらいあるでしょう。

そういえば、カエルの合唱も聞こえなくなりましたね。
ミツバチも見かけません。
カブトムシは今やお店でしか見られなくなりました。

もちろん変化することは、悪いことばかりではないけれど、
かつては当たり前だと思っていた風物詩が、いつの間にか失われていたことに気がついた時には
何とも言えずさみしい気持ちになります。

普段特別に意識することはないけれど、
というか、だからこそ知らないうちに自分の暮らしが他の命に対して
少なからず負荷をかけているいるのだなぁと、申し訳ない気持ちになります。

今からでも、取り戻すことができるでしょうか。

J氏の伝説

この街に住むJ氏は、いろいろな意味で筋金入りの”芸術家”です。
一言ではとても表現できませんが、
とにかく、この人を主人公にして映画を撮ったら面白いだろうなぁ〜と思えるような人物です。

作品一つがものすごい金額で売れたかと思えば、光熱費も払えない時があったり、
安定とは無縁の人生を、ず〜っと歩んできたJ氏。

そんなJ氏には、いろんな伝説があります。

例えば・・・

J氏の工房はこの町の山際にあって、そこにはこれまでに手掛けてきた様々な作品たちがゴロゴロ転がっています。
ある日のことその工房にガス屋さんが直接、滞納している使用料を集金しに来たことがあったそうです。
その時に、J氏がガス屋さんに言ったこと、

「今お金ないからさ、そこら辺にある作品どれでも持って行っていいよ。売れば数百万にはなるから。」

J氏は、別に冗談で言っているわけではないのです。
数百万、というのもなまじ嘘じゃない。
実際にJ氏の作品はそういう単位で取引されています。
J氏にとってみると工房に転がっている作品は、”まだ”売れていないだけなのです。

何とも豪快。
その時のガス屋さんの顔が目に浮かびます。笑

アーティスト、という生き方。

多賀網代文化展が終了しました。

年代も分野も様々な方々による展示会だったので、会場はとても賑やかでした。

この文化展では、ささやかながらお手伝いをさせていただいていることもあって、
通常とはまた違った見方で、それぞれの作品を鑑賞させていただくことができました。

普段美術館などで作品を鑑賞する時には、
作家さん自身のことを直接知っているということはあまりないと思うのですが、
今回は工房にお邪魔させていただいたり、
お酒を酌み交わしながらお話しを伺ったりして、
作家さんの人生観や価値観などに触れた上で、その方の作品を拝見できるという、
とても恵まれた経験をさせていただくことができたのです。

先述の通り、この文化展の出展条件は「その道で生きていること」ですから、
趣味の領域の方はいらっしゃいません。
ちょっと短絡的な言い方になってしまいますが、みなさん人生がかかっています。

特にファイン・アートの分野の方々の生き方には鬼気迫るものがあります。

例えば、ゴッホの経歴を思い出してみてください。
今でこそ、歴史に名を残し世界中で絶大な人気を博す巨匠ですが、
生存中に売れた絵は1枚だけだと言われています。

作品が売れなくて食うや食わずの状況になっても、創作し続けるという選択。
どんな苦境に立たされても、創作意欲が途切れないということのすごさ。
パワーの源泉はいったいどこにあるのか?
凡人が頭で考えて理解できるようなことではありません。

あるいは、見るもの全て、触れるもの全てが作品に集約されてゆくという過程・・・
それを楽しみながら暮らすという風流な生き方。

あるいは、日々積み上げるということの、絶大な力。
継続することによってしか、生み出し得ないものがあるということ・・・

 
 
そもそもアートとは何なのか。

観る者をそういう思いにさせる時点で、その作品は既にアートなのかもしれません。
今回、そういうものを生み出し続ける作家は、生き様そのものがアートであることを知りました。

私にとっては、作品に触れること以上に人間(作家)に触れることの方がおもしろい、
そんな展示会でした。

今後は、展覧会や美術館に行った時の作品の見方が変わりそうです。

多賀網代文化展 2015

今週末、地元で「多賀網代文化展」というイベントが開催されます。
近隣地区に住むアーティストさんたちによる合同展示会で、今年で5回目。
プレシャス・ブックスとしてではありませんが、うちもささやかながらお手伝いをさせていただいています。

引っ越してくるまで知らなかったのですが、この街には昔から芸術村のようなものがあったそうなのです。
60年代、アートに理解のある大地主さんが、
自由に創作できる環境を熱意あるアーティストたちに無償で提供していたことがあるのだそう。
そういう気風があるからか、最近になっても、
この街を創作の拠点にしようと移住してくるアーティストさんが少なくないそうです。

熱海市というと、リタイアをして第一線を退かれた方々が多く住む町、という印象があるかもしれませんが、
この展示会に出展される方々は、みんな現役で活躍されている方々です。
なにせ、出展の条件に「その道で生計を立てていること」という厳しいルールがあるのです。
つまり、みなさん”プロ”です。

しかも出展者は、1940年生まれから1980年生まれまで、宮大工さんからファッション・デザイナーさんまで、
それはそれは見応えがあります。

今週末熱海に来るご予定がありましたら、是非立ち寄ってみてくださいね。

公式サイト:http://tagajiro.blog.fc2.com/

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そもそも話、つづきのつづき

こうして、私にとって絵本は特別なものになりました。

 
かつて、こんなコラムを書いたことがあります。

絵本に宿るもの
http://preciousbooks.blog26.fc2.com/blog-entry-552.html

「絵本を作る人にも、それを伝えようとする人にも、
自然に、なにか善的なものが作用しているように思うのです。
それがとても根源的なものであるがゆえに、
思いが、あらゆるボーダーを越えて人の心に届くのでしょう。」

弱り切った私の心に届いたのは、絵本の内容うんぬんというよりも、その”善的な何か”だったのだと思います。

 
私が商品開発の仕事に携わっていた時代はバブル景気のまっただ中で、
日本ではまだ”エコロジー”や”ガイア”などといった考え方もあまり一般的ではありませんでした。
そんな時代に私の中に生まれてしまった『?』はどんどん増え続けて、
やがて肉体にまで影響が出てしまいました。

あれから長い時間が経過して、”エコ”なんていう言葉が流行語のように使われるようになりましたけれど、
『?』に完全無欠な答えが見つかったわけではありません。

けれども今では、あの頃の自分よりも少しだけ見えているものがあるのです。

例えば、絵本も”商品”なのですよね。
”商品”である以上、基本的には経済の仕組みから外れることはありません。
それでも、そこに”善的な何か”が宿る・・・
そういう商品は、絵本だけではないのです。

今では、どんなに面倒でも『?』をごまかさないことが大切だと思っています。
少しずつ道しるべを確認しながら、進むしかありません。

 
 
さて、再スタートそうそうちょっと固い内容のコラムになってしまいました。
初心を再認識したところで、次回からはいつもどおりの”たわごと”コラムに戻ります。

そもそも話のつづき

リニューアルを機に初心を振り返るため、「そもそも話」を綴っております。
前回からのつづきです。
 
 
悩んだ末に会社を辞めて、フリーランスで仕事を始めたのですが、
しばらくして身体に不調が出始めました。

仕事仕事でまったく、自分の身体をいたわるということをしていなかったので、
当然といえば当然の成り行きでした。

坂道を転げ落ちるように様態は悪化して、
あっという間に、日常生活すらままならない状況になり、
そこから何もかもが変わってしまって・・・・今に至ります。(はしょり過ぎ?)

その時は、出口の見えないトンネルの中にいるような気分でしたが、
この経験が、会社勤めをしていた頃にむくむくと湧いてきてしまった問いかけに、
少しだけヒントを与えてくれたのだと、今は思えます。

そんな状況下にいると、口に入れられるものも着られるものもとても限られたものになってきます。
花の香りがきつく感じられたり、水道水さえ痛く感じたり、
精神的にも弱っているので、テレビを見るのさえしんどく感じられました。

例えばですね、自分を励まそうと「ポジティブシンキング!」なんて言う本を読んでみようともしたのですが、
これがぜんぜんダメなのです。
ポジティブに考えることの大切さは理解できるのですが、
そもそもどうしたらポジティブになれるのかが分からない。(苦笑)
そういう本は、元気な時にしか読めないものなんですね。

いつしか、文字を追うことすらしんどく感じられて、内容がどうであれ長い文章の本は一切開かなくなりました。

不調は長く続き、”気力”がどんどん失われて、
肉体よりも先に心が死んでしまうのではないかと思えるほどでした。

大変ではありましたが・・・

あの頃、弱り切ったわたしを支え続けてくれたもの、
口に入れることができ、身につけることができ、
目にして癒されたもの、
そういうものたちが、わたしにとっては「本当に必要なもの」だったのだと、
身を以て知ることができたのです。

頭で・・・理屈で考えていた時には、何も分かりませんでした。

そして、「目にして癒されたもの」のひとつに、私の場合は”絵本”があったのです。
 
 

あれれ?また長くなってしまいました。・・・つづく

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