*たわごとコラム
「ミストマントル・クロニクル」
| 「ミストマントル・クロニクル」 第1巻 ----- 流れ星のアーチン 第2巻 -----アーチンとハートの石 「ミストマントル・クロニクル」というファンタジーについて、この本の挿画を描いていらっしゃるイラストレーターの野見山響子さんからご案内をいただきました。 「ハリー・ポッター」 で一躍有名になった英国のブルームスベリー社による新作ファンタジーの邦訳で、カバーイラストを手掛けているのは、ドゥシャン・カーライ氏です。 内容紹介はこちら >> click! * 野見山響子さんからのメッセージ ---------------- 胸躍る、動物たちのファンタジーです。 物語はシンプルで明るいながら、ぞくぞくするような闇も抱えていて、カーライ氏の描く動物たちがぴたりとはまっています。 編集者の友人の画家さんが、スロヴァキアの大学でカーライ氏に 師事していたご縁で頼み込み、今回の装画の依頼が実ったとのこと。 ミステリアスで宝石のような、すてきな本です。 私は、本文カットを担当させていただいた駆け出しのイラストレーターです。 それまでカーライ氏を存じ上げず、このお話をいただいたときに 初めて画集を拝見したのですが、魔法で縫いとめられてしまったような あやしい生命感のあふれる絵にすっかり魅せられてしまいました。 今回のことは、光栄ながら、とても緊張するお仕事でした。 ドゥシャン・カーライ氏の絵を愛される方、 わくわくするような児童文学を読みたいと思われている方に。 少しでも多くの方にこの本を手にとっていただけたらと思います。 ------------------------------------------------------- 私もまだ手にしたばかりですが、装画といい、文章中のカットといい、 また、野見山さんからの紹介文といい、とにかく、期待感が膨らむ一方です。 それに、日本ではカーライ氏の作品がほとんど入手困難な状況にありますので、こういうかたちで氏の新作を目にできるのも、ファンにとってはうれしい限りですね。 |
タトル商会のお店が消えてしまったって、本当ですか?
タトル商会のお店が消えてしまったって、本当ですか?
最近神田に行っていないので、今の今まで知りませんでした。
タトル商会は、戦後から洋書の輸出入や翻訳権取引などを手がけてきた書籍商で、神田古本屋街のメイン通り沿いに、小さいながらも味のある直営店を構えていました。
時代の流れで、棚の雰囲気も随分と変わってきたけれど、いつだって、この街を歩くときは決して通り過ぎることのできない店の一つでした。
学生時代からよく足を運び、
限りある予算でどの本を買うか迷いながら、いつも長居をしていました。
銀座のイエナ洋書も消えてしまったし・・・
インターネットが普及して、洋書は随分と手に入りやすくなりました。
こういう店が消えてしまうのも、無理からぬことかもしれません。
確かに、本を買えるところは増えているかもしれないけれど、
“本に出会えるところ”は、減っているような気がします。
特に、“本を実際に手に取って見る”という出会い方のできる場所が・・・

“ガンガン!”やると・・・
ここしばらく、真夏のような陽気が続いていましたが
昨日あたりから急に気温が下がって、半袖だとちょっと寒いくらいですね。
あれこれ暗いニュースが飛び交っていますし(いつものことだけど)、
心がシュンとしてしまいそうですが、
そういう時はひたすら目の前のことに集中するというのが、
私なりの過ごし方です。
なんとなく気持ちが沈む日は
ガンガン!掃除をする・・・とか、
ガンガン!やり残していた仕事を片付ける・・・とか、
あまり考えなくてもできることで、
できれば身体を動かすことを、とにかく“ガンガン!”やると・・・
あら不思議!
気持ちもすっきり!(お部屋もすっきり!)です。
で、私は昨日からガンガン!動き回っています。
収穫の多い日
今日は、収穫の多い日でした。
いつものように、夕方クロッキーをつれて散歩に出たところ
途中で、同じく犬の散歩をしていた近所のTさんファミリーと遭遇。
お父さんと4歳のコロ、小学生の兄妹YくんとMちゃんです。
コロとクロッキーは10歳以上も離れているのに結構ラブラブで
2匹で同じ方向へと進んでゆくので、なんとなく集団散歩となりました。
下の写真に写っているのは、散歩の途中YくんとMちゃんが、
道ばたや周辺の草むらから採ってきて、私にプレゼントしてくれたもの。
ほたるぶくろ、青梅、桑の実、のびる・・・・etc。
二人は元気よく走り回って、木に登ったり、雑木林に入っていったりして
とっておきの宝物を集めてきてくれたのです。
「野いちごを食べるときは中に虫がいないか確認してからね」
「これは服にくっつくんだよ」
「青梅はすごくいい匂い!!」
ここに写っているだけのものではなくて、
もうすぐ熟して食べごろになる秘密の場所のびわの木とか
笛にして遊べるシビビとか・・・・
シビビというのは、カラス・エンドウのことで、
笛にするとシービービーという音が出るので、
そう呼ぶようになったらしいです。
私が見つけたものを見せると、二人は好奇心いっぱいに覗き込んで
わ~とか、お~とかいって、
そして「きれいだねっ!」ていうのです。
それがなんだかとっても感動的でした。
「きれいだねっ!」って、今日は何度もいいました。
今日の数十分の散歩で、
10年分ぐらいのことを学んだような気がしています。

本日の収穫(プレゼント)
野いちご、きれい。
大人的感覚としては、採ってしまった花をそのまま放ってしまうのは心苦しいので、
小さなグラスに差してテーブルに飾りました。
青梅は部屋の天然芳香剤に、野いちごと桑の実は、しばし鑑賞してからデザートに・・・
新月に種を蒔く
「月齢を見て種を蒔く」というのは、自然から学んだ知恵として
昔はどこの国でも当たり前のように行われていたといいますが、
現代農法ではあまり重要視されていないようです。
そんな、今となっては“おまじない”とも受け取られかねないことを
現在でも厳格に守っている自然農法があります。
以前、ある仕事で紅茶の世界に触れたことがあるのですが、
その時に、インドのマカイバリという茶園が
この農法で茶葉を育てているということを知りました。
オ-ストリアのルドルフ・シュタイナ-が提唱したオーガニック農業で、
“バイオダイナミック農法”といいます。
オーガニックといっても、単に農薬や化学肥料を使用しないというだけではありません。
自然との調和やあらゆる生命との共生に基づき
天体の動きに栽培を連動させ、
宇宙のリズムで作物を育てるという壮大な理念による農法です。
詳しくはこちらで>>
北欧では、新月に切った樹はヒビが入りずらく長持ちするといわれていますし、
日本でも、満月の夜にだけ作られる自然塩があったりします。
バージン諸島では、新月に種を蒔くと野菜が病気に強く丈夫に育つからと、
現在でも月齢を見て農業をしているそうです。
血液の組成は海水に近いのだから、
体内で満ち引きも起こるはず。
“バイオリズム”もあながち無視できないわね。
当時,自然のリズムを見失いがちだった私は
マカイバリの紅茶をいただきながら、しみじみそう感じたのでした。
もしかすると、バイオダイナミック農法の作物には、
乱れたリズムを正してくれる力があるのかもしれません。
今日は新月
空が真っ暗だ・・・と思ったら、今日は新月。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n_iwai/Luna.cgi?m=May&d=17&y=2007
真っ暗なのに、山も海もなんだかざわざわしている感じ。
風に乗って運ばれてくるオレンジの花の香りが、
いつにも増して鮮烈です。
ある自然農法では、新月の時にあわせて種を蒔くのだそうです。
“素敵な宇宙船地球号”でも、こんなプログラムがありましたね。
http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2005/20050206/index.html
占星術では、新月に新しいことを始めるのがよいとされているそうですよ。
願い事もかないやすいそうなので、
今晩はゆっくりと、お祈りでもしてみましょうか。。。
にっこりの連鎖
思わずにっこりしてしまう動物の写真を、時々メールで送ってきてくれる友人がいます。
その写真は、外国にいるお姉さんや娘さんから送られてきたものだそうで、
それをそのままうちにも転送してくれるのです。
こんなメールをやりとりしている家族って、本当に素敵だな~と思います。
どこかでたまたま見つけた“にっこり写真”を
『これを見たらお母さんもにっこりするだろうな~』と思ってメールで送る。
で、その写真を見てにっこりしたお母さんが、
『これを見たら○○さんもにっこりするだろうな~』 と思って転送する。
そういう思いが続く限り、 にっこりが連鎖してゆく。
こういうのもチェーン・メールっていうかしら?
だったら、大歓迎だよね。
私はいつもにっこり返しで、クロッキーの写真を添えた返事を送るのですが
どうもその写真はまた転送され、お姉さんや娘さんのところに届いている様子。
時折、海の向こうからクロッキーへのメッセージが届きます。
「ありがとう」
友人にそう伝えるだけで、その思いも
必ず海の向こうに届いています。
魚が跳ねるわけ
今日・・・
ぼんやり海を眺めていたら、大きな銀の魚が、あっちでもこっちでも
ひっきりなしに跳ねていました。
中には、2段飛び3段飛びをする魚もいます。
『なんかいいことあったのかな?』
ついついそんなふうに感じてしまうほどの、うららかな陽気でした。

海際のベンチに腰を下ろすと、 眼下の岩場で釣りをしているおじさんがいました。
しばらく眺めていましたが、まったくあたりがこない様子。
間もなくおじさんはおもむろに撒き餌を始め、クーラーボックスから
あたらしい餌を取り出して、釣り針につけ直しました。
結構大きな桜えびです。
おじさんは、撒き餌をした辺りをめがけて釣り竿を大きくしなわせました。
針はいい感じのところにポチャリ!
上から見ているので、よく分かります。
ただ・・一つ問題が・・・
勢いをつけるために糸を後方に回した瞬間に
餌の桜えびが岩の上に落ちてしまったのです。
もちろん、 おじさんは気づいていません。
私は釣りのことは何も分かりませんが、
『多分、なにも釣れないだろうな~』と思いながら
それでもぼんやりと、のどかな光景を眺めていました。
魚たちは海の中で、おじさんが撒いてくれた餌を
お腹いっぱい食べてるに違いありません。
そうか・・だから今日は、こんなに魚が跳ねてるんだ・・・

落ちた桜えびは、おいしい干しえびになって、
この公園に住んでいる野良猫の、豪華な晩ご飯になったはず。
いい人だな~、おじさん。。。
ところで、おじさんの今晩のおかずは??
「レディー・イン・ザ・ウォーター」その3
前回のつづき
もしも“主人公”が世の中を変えてくれるなら、
主人公でも脇役でもないその他大勢は、映画の鑑賞者や物語の読者のように
ことの成り行きを見守っているだけなのでしょうか?
そんなふうに考えてしまうと、逆説的に、
主人公でも脇役でもないなら、世界の未来とは何の関わりもない
いても、いなくても同じ存在だ・・・という意識が芽生えてしまいそうです。
シャマラン監督は「レディー・イン・ザ・ウォーター」を通して
そうじゃない・・と語りかけてきます。
あらゆる微細な存在と、それらの関わりの行方が未来なのだと。
「人間は皆つながっている」と、ストーリーという名の水の精がつぶやきます。
だから、未来に関わりのないものなど何もないと。
どんなに小さな存在でも“変化の種”を担っている・・・
在るべくして在る・・・
それは事実? それとも、単なるおとぎ話なのでしょうか?
「レディー・イン・ザ・ウォーター」はおとぎ話です。
飛躍したストーリーも、よくある展開。
おとぎ話なのですから『何でもあり』です。
でもそれは、現実の未来にも同じことが言えますよね。
まだ起きていないことは、どうなるか分かりません。
あらゆる可能性があります。
ある意味、『何でもあり』です。
あるシーンで、世の中を見限って引きこもりになった賢人がこういいます。
「もう、おとぎ話を信じるのはやめよう!」と。
けれど、「君には傷ついた水の精を癒す力がある」といわれた管理人が
「私にはそんなことできない」と弱気になった時に
「いいから、やれ!」といったものこの賢人です。
監督は、水の精の存在を信じろと言っている訳ではないはずです。
子供のように、そういうものを信じられる純粋な気持ちが大切だというような
単純なお話ではありません。
おとぎ話仕立てであることは、単なる手段なのだと思います。
もちろん、他にもたくさんのメッセージが込められていますので
このコラムで書いたことは、感想のごくごく一部です。
ちなみに、ある映画レビューでこの作品が
「シャマラン映画史上最もちっぽけだが、最も壮大かつ深刻な作品」
と紹介されていました。
私としては、この一文が結構気に入っています。
今日も、暗い気持ちになるニュースがたくさん流れています。
昨日もそうでした。
世の中いったいどうなってしまうのでしょう?
『お先真っ暗だ~』と捨て鉢な気持ちになったら、
もう一度この映画を観てみようと思います。
「レディ・イン・ザ・ウォーター」その2
前回のつづき
『世の中いったいどうなってしまうのだろう・・』
そう感じている人は多いはずです。
けれども、『そんな世界を変えるには?』という問いに
明確な答えを持っている人は少ないのではないかと思います。
世界中の人が模索し続けているその答え・・・
シャマラン監督は自分なりに見出した一つの“答え”を
「レディ・イン・ザ・ウォーター」で表現したかったのではないかと
私は感じました。
そして、映画のなんたるやとか、おとぎ話のうんぬんだとかを超えて、
その考え方に共鳴したのだと思います。
単に“感動した映画”というのとは違う、
なんとも説明しがたい余韻が残りました。
シャラマン監督作品には、常に意表をつく展開が期待されているので、
どんでん返しのないこの作品の評価は一般的に低め。
私のような見方をする向きは少ないのかもしれません。
あらすじは、あるアパートのプールから突然現れた水の精が、
無事故郷に帰れるように住人たちが団結して奔走するというもの。
こんなふうに書くと、設定をちょっと現実よりにしただけの、
ありきたりなおとぎ話のようですが、
実際にはかなりメッセージ性の高い作品です。
(あまり細かく書くとネタバレになってしまうね)
ファンタジーの世界では、どんなに難しい状況下でも
必ず明るい未来が開けますよね。
その希望は様々なかたちで描かれていますが、
人気作になるのは、ある勇敢な主人公が幾多の苦難を乗り越えて
未来を切り開いていくというもの。その主人公の功績によって、
世界は救われ、人類が希望を取り戻すという筋書きです。
主人公は、かっこいいヒーローだったり、救世主だったり、
覚醒した一般人だったり・・・とにかく“特別”な存在です。
「レディ・イン・ザ・ウォーター」の主人公はというと、
おとぎ話としては水の精に、
映画としてはアパートの管理人に焦点を当てて描かれていますが、
メッセージの主題である“世界を変える”という点においては、
主人公を特定することができません。
このおとぎ話では、
世界を変えるのはある少年だということになっているのですが、
その少年は登場すらしないのです。
アパートの住人は皆、どちらかというと救いを必要としている人たちばかりで、
特殊な能力を持つ人もいません。
水の精をとりまくお話以外は、すべて“現実”そのものです。
主人公なんていない。
それが、この映画の重要なメッセージのひとつなのかもしれません。
・・・・・・・・またまたつづく。
レディ・イン・ザ・ウォーター
「レディ・イン・ザ・ウォーター」という映画を観ました。
『シックス・センス』で有名なM・ナイト・シャマラン監督の最新作です。
といっても、それを知ったのは映画を見終わってから。
特に強い動機があったわけでもなく、
紹介文や感想文を読んで興味が湧いたのでもなく、ただ何となく選んだ作品です。
“新感覚ミステリー”“新しいタイプの恐怖”などと紹介されていますし、
前置きがあったら恐怖映画と勘違いして、
逆に手に取ることはなかったかもしれません。(既成概念こそ怖い)
M・ナイト・シャマラン監督の作品はどれも、表面的にはいわゆる
超常現象を扱っていますが、それらが単に恐怖を売りにしているだけならば、
この監督がこんなにも有名になることはなかったでしょう。
『シックス・センス』の大成功で監督に向けられる期待が大きくなった分
評価も厳しくなり、新作が発表される度に物議をかもしています。
良くも悪くも、常にあれこれ言われるシャマラン監督作ですが、
この「レディ・イン・ザ・ウォーター」は、特に意見が分かれているようです。
内容にはよい評価をつけている人でも、映画としてはいまひとつ…という意見が目立ちます。
『シックス・センス』に比べれば明らかに駄作、という厳しい評価もありました。
それもこれも、後で知ったこと。
何の前置きもなく観たこの作品から、感じたことが多かったので
『これは誰がつくった作品かしら?』と興味がわいて、インターネットで調べてみたのです。
関連サイトによると、
M・ナイト・シャマラン監督が自分の子供のために作ったベッドタイムストーリーが
脚本のベースになっているとのこと。
そしてなんと、絵本も出版されておりました。・・・・・つづく






